動かしていくのはボランティア活動であろうと思う。
お金、お金・・・、お金至上主義の世の中に嫌気が差して来始めてる人も増えてきたように思う。何事も全てお金に換算されることを嫌だなぁ〜と感じる人たちだ。
それを象徴しているのが「地域マネー」とか「エコマネー」とかの、日銀が発行する国家の通貨ではなく、そこだけでしか通用しないような「マネー」をボランティア活動などに対して支給するところが段々と増えてきたことだ。
無償で活動するボランティア活動に対する対価として、現金を支給するのは失礼だが、まったく何も払わないというのも気が引けるという人たちにとっては、恰好の感謝の意志を表すツールになっている。
貰う方も現金ではないから、抵抗感が少なく貰い易い。
この貰った「マネー」を使える場所や店が増えたら、もっともっと普及するだろう。
高度経済成長が終わり、失われた10年(実際には20年)と言われたバブル崩壊後の不況日本もようやく心の成熟が始まったのだろうと思いたい。
北の屋台も、当初の活動は、ボランティアによって支えられていた。
皆、帯広のまちを良くしたい。活性化させたいという志が、無償の活動のエネルギー源であったのだ。
たとえ自分の儲けにならなくても、北の屋台の活動に関われることで満足感・充足感を感じることができていたのである。
例えば、北の屋台の中央部に付いている「ライブカメラ」は、コンピュータの専門家である方が、飛び切り安いカメラを探して来てくれて、取り付け作業も自ら無償で行ってくれたのである。
本来なら、コンピュータ関係で生活をしている人が、仕事ではなく特技としてボランティアでライブカメラを設置してくれたのだ。
このライブカメラのお陰で、コンピュータ上の北の屋台のホームページを開けば、1分間隔で映像が変わる北の屋台の生の状態が見られるのである。
帯広以外から来た客は、携帯電話を片手にして、カメラの前で手を振って「今、帯広の北の屋台で飲んでるよ〜、俺がコンピュータに映っているかい?」などと言いながら楽しんでいたし、混んでいるかどうかも調べることが出来るのでとても好評だったのだ。
この様に、自分の特技を活かして、他の人達に喜んでもらうという気持ちがボランティア活動の基本なのである。
さもボランティア活動をしているかのように見せかけて、金を儲けるという行為は最低の行為だ。
大切なのは北の屋台と云う帯広市民の憩う場所に、自分の特技を生かして何等かの貢献が出来れば、自らの利益を出すことよりも、自分の心が満足する方が先だという心がけなのだ。
このボランティア精神がもっと広がれば、その地域は必ず住み良い場所になる。
もう、誰だって、お金、お金のギスギスした場所には住みたくないと考えるはずだ。