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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-03-04-Friday マイヒストリー52

観光カリスマに

2005年3月18日に就任したことで、講演の依頼やら、テレビ、雑誌などの取材が急激に増えた。日本人は権威というかお墨付きというか、そういう類のものに弱い国民だ。「北の屋台繁盛記」を7月29日に出版したのも実にタイミングが良くて、講演に行った先々で、この本を宣伝、販売してくれるので、講演終了後にサイン会みたいな事になる。何だか自分が有名な作家にでもなったような気分になった。

3月16日(水)の夕方に帯広駅の構内を歩いていたら、俳優の津川雅彦さんとバッタリと出会った。

津川さんは1986年に帯広市の愛国—幸福駅のある広尾線が廃止される時に、この線路を残して「サンタランド」を十勝に造ろうという活動をしていた。丁度当時、私は父の経営する「サニーデパート」が寄り合いデパートとしては曲がり角に来ていたので、この状況を打破すべく坂本ビル全体を「子どものビル」に改装する計画を立てていた。津川さんは、当時、東京の自由が丘で子ども向けのビル「チルドレン・ミュージアム」を3人で運営していており、自身もそこで「グランパパ」という高級おもちゃ屋を経営していた。

縁あって、津川さんと知り合い、坂本ビルを東京・大阪に次ぐ、第三番目の「チルドレン・ミュージアム」にしようという計画になっていったこともあって、この「サンタランド」計画の十勝に於ける事務局長を私が務めていたのである。

また、坂本商事(北海道民芸品店)の下請けの木彫りの職人を津川さんに紹介して、オリジナルのサンタクロースの木彫りの彫刻品を数十点もグランパパに納めたりもしていた関係で、津川さんとは何度も一緒に仕事をした間柄であった。

その後、この計画はとん挫したのだが・・・。

列車の時間が迫っていたので、ほんの2分程度の挨拶だけで終わったが、津川さんは映画「雪に願うこと」(帯広のばんえい競馬を舞台にした映画)の撮影の為に帯広入りしたとのことだった。

「雪に願うこと」は翌2006年5月に公開される映画で、「第18回東京国際映画祭」でグランプリ他4冠を獲得した映画である。監督は根岸吉太郎、出演者は伊勢谷友介、佐藤浩市、小泉今日子、吹石一恵、香川照之、山崎努、津川雅彦など。

この「雪に願うこと」の撮影スタッフの人たちは「北の屋台」をとても気に入ってくれて、毎日の様に飲食に訪れてくれたのだった。津川さんが出演していることが、もっと早くに分かっていたら、北の屋台を案内したかった。きっと私が北の屋台を発案したことは知らなかった事と思う。津川さんが北の屋台に来てくれたかどうかも確かめる時間もなく別れたのだった。

全国各地に講演に出掛けると、飛行機のマイレージが貯まる。使ってしまわないと失効してしまうポイントが出てきたので、妻と二人でマイレージを使って旅行に行くことにした。

以前に沖縄で講演した際にお世話になった玉城美智子さんという沖縄のテレビ局のアナウンサーの方が、私の講演を聞いて、是非とも冬の十勝を訪れたいと言って2005年2月6〜9日まで、帯広に来られたので、然別湖などを案内して回ったのだが、そのお礼として、沖縄に夫婦で遊びに来たら案内すると言ってくれたのだ。

私は沖縄には何度も講演で呼ばれているが、妻はまだ行ったことがない。

私の講演スケジュールは結構詰まっていて、なかなか日程が取れなくて困っていた。ようやくスケジュールの合間に取れた日程が6月10〜15日であった。妻が、沖縄はその時期はまだ梅雨だから行きたくないと言う。しかし、この日程でしか空いていないので、私は「晴れ男」だから大丈夫だと言って強引に出掛けて行ったのだった。

確かに沖縄はまだ梅雨であったが、雨に身体が濡れることは一度もなかった。車に乗って移動している時には雨が降るのだが、降りると不思議なことに雨が上がるのである。

沖縄本島・石垣島・竹富島・西表島・由布島などを巡り、各地で講演で知り合った方々に連絡を入れて美味しい店や、面白い場所に案内してもらった。

1985年に結婚して以来、妻と二人切りで旅行するのはこれが初めてである。妻も久し振りに羽を伸ばすことができた。これ以降は毎年、妻と旅行をするようになったのであった。(つづく)