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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-03-08-Tuesday マイヒストリー54

2006年も相変わらず講演、取材、

テレビ出演などで忙しい日々を過ごしていた。「観光カリスマ百選」に選ばれたことで、忙しさに拍車が掛ったのだ。称号一つでこんなにも忙しくなるのかと驚きの毎日であった。

2006年3月23日(木)14:00から北の屋台の大家である「H」のYさん夫妻と長男さんと、H理事長、K専務と私の6人で、北の屋台の土地の契約についての話し合いを「H」で行った。

前(2005)年11月の、北の屋台の理事会の席上で、「北の屋台の契約の年限が2007年11月末日までとなっているが、これだけ流行っていて、帯広市の名物にもなったのだから、契約を延ばしてもらうよう大家さんに話せないのか?」という意見が出てきたのだ。

こういう面倒で難しい案件は全て、私が担当しなければならない。その理事会の直後に、Yさんを訪ねて「契約の継続を考えて欲しい。ついては3月までに、年限や金額などの諸条件を提示してもらいたいのだが」という申し入れを行い、「3月までに回答する」との返事を貰っていたのだった。

3月中旬を過ぎても返答がなく、27日には理事会の予定が入っていたので3人でアポイントを取って訪ねたのである。すると「まだ、金額は決めていないが・・・・・・・・・・」と言われたので、「27日の昼に再度訪れるから、それまでに諸条件の提示をお願いしたい。」旨を伝えて退席したのだった。

そこからの、交渉は実に大変な仕事であった。北の屋台に関連した仕事の中で、私が一番、心身ともに疲れたのは、最初(2000年)の大家さんとの交渉と、この契約延長の交渉であった。

私の本業は不動産賃貸業であるから、本来ならオテノモノの交渉であるはずなのだが・・・。

結局、大家さんの主張と我々との主張に隔たりが有り過ぎて、両者の話し合いだけでは結論に至ることが叶わず、弁護士の仲裁で何とか双方の主張がまとまったのは11月11日のことであった。最初の申し入れから実に1ヶ年の月日を要したのであった。

この種の調停は、「互いの言い分を足して2で割る」傾向が強いから、無茶苦茶な言い分を主張する方に利が出て来るのは職業上も分かっていることだが、不動産賃貸業を営む身としては、常識的な申し入れをするしか出来ない。世間体などを考えずに無茶なことを主張すれば後々に不利益となって降り掛かって来るのが世の常であると思うのである(この詳しい内容は後年に書く)。

青森・八戸・宇都宮・小樽・函館・帯広の6つの屋台村で作った全国の屋台村連合の持ち回りの会議が5月29日に小樽で開催された。屋台村のメンバーはゴルフが好きな人が多いので、是非とも北海道の名門クラブ「小樽カントリー」で親睦ゴルフコンペを開くよう要請した。まだゴルフシーズンの早い時期だったので成績は振るわなかったが、小樽カントリーでプレイ出来たのは嬉しかった。

6月17日(土)にカンボジアのアンコールワット等の修復で有名な帯広市出身の上智大学の石澤良昭教授(当時)(現学長)が墓参りで十勝に来られるというので、その機会を活用して、十勝の住民有志で、石澤教授の活動のサポートをしようという催しを、帯広市内のふく井ホテルで開催した。石澤教授にカンボジアの活動の講演をしてもらい、その後、ホテルで懇親会を開催したのだ。帯広出身の方が世界的に活躍されている様子を、広く帯広市民に伝えることが出来て、しかも和気あいあいとした雰囲気の会になって、石澤教授にも喜んでもらえたのだった。

23日(金)に十勝カントリークラブで青年会議所(JC)の「日本JCじゃがいもクラブ東日本大会」が開催された。これは翌2007年9月下旬に帯広で開催される「日本JC全国大会」の時に、同時に全国各地からゴルフ好きのJCメンバーが集まって行うゴルフコンペの前哨戦のようなものであった。

私も駆り出されて、一緒に同組で回ったのがハンディ2と3と4の人である。私も一応ハンディは8だが、片手シングル3人と一緒では緊張する。迷惑を掛けないかと、真剣にプレイしたら43・41で回れて何とか面目がたったのだった。(つづく)