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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-03-11-Friday ノーブレス・オブリージュ

3月6日に放送された

NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を見て感じたことを書く。

一言で言えば、当時の日本の中枢には、ノーブレス・オブリージュ(社会的高位の位置に居るものには重大な責任がありそれを果たす義務がる)という先頭に立つ人間としての気概を持ったリーダーが存在しなかったということだろう。

お公家さんの近衛文麿首相をはじめとして、日本という国よりも自分の命を優先したということだ。

背景には、当時の日本は、軍部に逆らったらと云うか、大勢(雰囲気)に逆らったらと云うか、少数意見を述べるものは暗殺されてしまう世の中だったということもあるだろう。

しかし、当時のリーダー達は、御身可愛さから、政治家や軍人まで、その全てが日本と云う国の行く末と、大勢の尊い国民の命を、優柔不断な、無責任なすすめかたで行い、日本をあわや地球上から消滅させかねない危機に追い込んだのだ。

終戦後に政治家・官僚・軍人などのインタヴューを放送していたが、責任のなすり合いばかりである。

当時の政治家も軍人もアメリカと戦って勝てるとは誰も考えていなかったというではないか。それなのに、誰もそれを言い出せなくて、誰かにそれを言わせようとして、ただズルズルと時間を浪費して、益々状況を悪化させて、結局は太平洋戦争に突入してしまったのだ。

当時のマスコミ(特に新聞)が国民を煽ったからではないのか?

国力(アメリカのも日本のも)の実情を知らない日本国民は、アメリカと戦争しても勝てると思い込まされていたのではないか?

日清・日露・第一次大戦の勝利で、日本国民は日本は戦争に強いと思い込まされていたのだろう。

大衆のパワーがまとまると恐ろしいことになる。誰もアメリカには勝てないと言い出せなくなっていたのだろう。もし、そんなことを言ったら「非国民」と言われて殺されてしまうような雰囲気が日本中に醸成されていたのだろう。

何だか、現代の日本も同じ様な状況になっていることに暗澹たる気持ちである。政治家しかり、日本相撲協会しかり、検察しかりである。

大衆に迎合すると道を誤る可能性だってある。だが、現代の日本の政治家は、自ら大衆の方に擦り寄ろうとして、安易な政策をやっているようにしか見えない。

それなりの地位に居る人間には、果たさなければならない義務が存在する。倫理観を持って、その地位に居ることの意味を考えねばならない。何も義務を果しもせずに、責任も負わないような輩はリーダーとは言えない。

出でよ! ノーブレス・オブリージュを持ったリーダーよ!