失敗例や成功例があるが、その多くの事例の内、人間の気質によるものは大昔からあまり変化が少ない。
それとは別に、時代背景によって成功することもあれば、失敗することもある。
分かり易く言えば、右肩上がりの成長時代の成功事例と、右肩下がりの停滞時代の成功事例とでは、違いがあるように思うのである。
第二次世界大戦後から2007年頃までの人口が増え続けていた成長時代には、多少の失敗はカバーできるし、二番煎じでも十分に恩恵に有りつける時代であった。
今の人口減少社会では、一度の失敗が命取りになりかねないし、二番煎じの恩恵はほとんどなくなった。
つまり、成長時代というのは、他人のマネをして二番煎じでやった方が、独自の手法をして失敗してしまうよりもリスクは小さかったのだ。
ところが、低成長、若しくは停滞、減少時代になると、二番煎じは旨味が減った(むしろマイナスかも)から、他人のマネは逆にリスクが大きくなった。
他人のマネはダメだということになると、独自の方法を考え出さねばならない。しかも、失敗が許されないとなると、着手は慎重にやらなければならない。
以前の様に、思い付きで事業をやって、失敗を繰り返す余裕がなくなっているのだ。
一昔前のビジネス書には「考える前に行動しろ!」とか「行動しながら考えろ!」なんていうものが流行ったことがある。
しかし、これは今の時代にはリスクが高過ぎる。
学者や官僚は実際に、会社を経営したことがないから、理想論だけで論文を書く傾向にあるが、それなら、その学者が社長になって行う事業は全部成功するのだろうか? そして、その学者は億万長者に成れるのだろうか?
そんな事はないだろう。
机上の理論と実際の社会とは違うのだ。
いまだに、「まちづくり」では過去の遺物になっている考え方が主流を占めているようだ。自分の会社と違って責任感が欠如しているから、エイ、ヤーでやってしまいがちだ。
右肩上がりと右肩下がりでは、ベクトルの向きは逆方向だ。時代背景が大きく異なるのに、成長時代の方法で行うまちづくりは成功の見込みは少ない。
過去の成功事例を追っかけてばかりいると、そういう事態に陥り易いのだ。
危機に瀕した場所の再生には、時間が無いのも事実だ。だから、のんびりと検証している暇は無いと言う人間も多いが、失敗させる金銭的・時間的余裕も既に無いのだから、思い付きでやる事業に命運を託す人間がどれだけ居るのか。
先に書いた、ビジョンを示し、共有できる人間たちで取り組むしか、残された道はないように思う次第である。