我が家でも家族で対策を話し合ってみた。
内陸の帯広までは津波は来ないだろうから、建物の崩壊が問題だろう。
我が家の場合は、昭和42年の建築であるし、平成6年に改築した時に何本か柱を抜いて部屋を広く作り変えているから、きっと地震には弱い建物だろうと思う。
私は、高校1年生時に流行った「ノストラダムスの大予言」を半分信じていたので1999年7月には何か世界的な災害が起きるのではないかと思っていたのだ。
当時、ホームセンターに行って懐中電灯やら固形燃料やら非常食やらを買い込んで準備していたのだが、ノストラダムスの大予言は空振りに終わり、準備した非常用の道具は物置の置く深くに収まってしまった。
その後は十勝で大きな地震がある度に、この非常用の道具を引っ張りだすのだが、結局使うことなく、また元の物置に収まるのがこれまでのパターンであった。
今回の巨大地震で、人間の想定なんてものがあてにならないことがよく分かったし、所詮、人間の知恵なんてものは大自然には敵わないものであることも身に沁みた。
現代の人間社会は「電気」というものに著しく依存しているから、電気が止まったらたちまち生活に困る。
寒い冬に電気が止まった時の事を考えてみた。我が家の暖房は灯油のセントラルヒーティングのボイラーで、電気で着火したりコントロールしたりするものだから、電気が来なかったら全く動かない。
薪ストーブも石油ストーブも処分してしまったから、暖を取る器具が無いのだ。わずかに、夏に庭で焼肉を焼くコンロと炭が少々あるだけだ。
真冬にマイナス10度以下にでもなったら、果たしてこれだけで何日持つのだろうか?
自動車でどこかに避難することを考えても、車庫のシャッターが電動式だから、電気が止まったらそれこそシャッターを開けることすらもできない。
我が家のある町内会の避難場所は「花園小学校」に指定されているが、妻も子どもたちも花園小学校のある場所を知らなかったのだ。これでは家族がバラバラになった時の安否確認が出来ないではないか。携帯電話は今回の地震でも、繋がらなくて大して使い物にならなかったし、私の携帯電話には子どもたちの番号が登録されていないことも判明した。
日頃からこういう確認もしておく必要性を感じた次第である。
家族が居なくて、たった一人で暮らしている人は、誰か緊急時に連絡を取り合うような人を作っておくべきだろう。そうでないと、消息不明になっても分からなくなってしまう可能性もある。
老人の一人暮らしを無縁社会と云うが、それこそ無縁仏になりかねない。
やはり、人間は謙虚に、そしてシンプルに、支え合って生きることも必要だ。