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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-04-10-Sunday マイストーリー59

2006年11月7日(火)ついに

地遊舎はオーベルジュ・コムニ(AK)から撤退をした。

とりあえずの追加融資として10日に100万円を地遊舎に払ったが、その後の清算の方法では、T社長と私との意見は合わない。だが、他の役員たちはT社長には逆らえないような雰囲気なのであった。

14日夜に地遊舎の会議(これが私が出席した最後の会議になった)があったが、いつも会議の前にはメーリングでやり取りしているので、T社長に宛てて私の地遊舎整理の考え方をメールしておいた。

要点だけを書けば、役員全員が同等の負債を負うというのはオカシイ。T社長の責任が一番大きいと書いたのである。

私は、このメールを出したことによって、この会議では本音で話し合えると考えたのだ。しかし、予想に反して、T社長の言動は謙虚であった。

私のメールは全役員が事前に読んでいるから、役員皆が拍子抜けしたようで、O常務は「T社長は坂本さんのメールを読んでいなかったのではないだろうか?」と帰りの車中で私に言った。

事実はどうやらその通りだったようで、翌日になって私のメールを読んだT社長が激怒して「坂本は許さん!」ということになったようである。そこから、T社長による私への報復が始まったのだった。

11月28日夜に開催した北の屋台の理事会では「センナリ」の退店のことを議題にした。13日に「センナリ」から北の起業広場協同組合に対して2007年2月末日をもって退店するという退店届けが正式に提出されたからだ。

このことは14日の地遊舎の会議の席でも、北の屋台の理事者が5名も揃っていたからその場で発表しているのだ。

この理事会では、「センナリ」の空いた後を、起業塾方式で埋める具体的な提案を私がしている時に、T副理事長(T社長)が「ちょっと待て、センナリが退店して何処に入居するのかと言えば、坂本専務理事が所有する物件に入居するのだ。北の屋台は半ば公的な要素を持った活動であるから、他人から疑惑の目で見られるような行為は厳に慎むべきである。

今はコンプライアンスが重要な時代である。センナリはまだ北の屋台の第二期の期間中であるのにもかかわらず、それを解約させて自分の所有する物件に引っ張る行為は如何なものか。坂本専務は北の屋台を私(わたくし)している。この責任を取って辞任しろ。

今回の事も、自分がこの理事会に出席していなければスンナリと決まっていたことになる。他に会議の予定が入っていたがそれをキャンセルして出て来て良かった。私が出ていなければ他の理事はスンナリ了承していたことだろう。

北の屋台は坂本の独断で物事が進んでいる。ここに居る理事は事前にこのことを知らされていたのか?」と言い出したのだ。

9月にはK専務理事が伝えているはずであるのだが、H理事長は3日前に知った。S相談役とT監事は今日初めて聞いたと信じられないことを言うし、更に、K専務理事は「自分はアメリカ(帯広市とウィスコンシン州の友好親善)に行っていたから知らなかった」と我が耳を疑うようなことを言うのである。

私はこのことを理事会を開催して報告したかった。臨時理事会を開催したいとK専務理事に言ったら、K専務理事は「理事会を開く程の案件でもないだろう、坂本っちゃんは忙しいから、俺が理事者を廻って報告しておくから、理事会を開催する必要ないよ」と言うのである。

だから、Kのこの発言には呆れてしまった。

K専務理事は、理事者達に報告をしていなかったばかりか、自分まで知らなかったとほざいたのである。

傘にかかって、T副理事長が「見てみろ!このように坂本の独断専行で北の屋台の活動が行われている。許しがたい行為だ。北の屋台は坂本のモノではない。責任を取って辞めてもらう」と発言したのであった。(つづく)