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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-04-11-Monday マイストーリー60

前回からの続きで2006年11月28日の

北の屋台の理事会のことである。

このことは理事会終了後すぐに詳細にメモを書き残しておいたが、これまでは、我が子のように可愛い北の屋台が崩壊することを懸念してごく一部の人にしか公開してこなかった。

しかし、ここ最近の北の屋台は設立の理念を忘れ、店主等から暴利をむさぼり、しかもその得た金を、それこそ私(わたくし)している輩がいる。すでに北の屋台は崩壊が始まっていると感じるまでになった。腐ったミカンはすぐに取り除かなければ北の屋台全体が腐ってしまいかねない。意を決して公開することにした。

S相談役は「来年(2007)の11月に丁度良く(店舗が)空くのであれば誰も文句は言わないだろうが、期の途中での退店はいかにもまずい。契約するのを11月まで伸ばせないのか?」とムチャなことを言う。

私は「センナリの退店は私が(自分の物件に)引っ張ったわけではなく、センナリ本人の希望である。逆に理事の皆さんに問いたい。そもそも北の屋台の目的はまちの活性化であり、シャッターの降りた店舗に屋台からの卒業生に入居してもらい活気を取り戻すというものではないのか。

確かに今回のセンナリのケースは第二期の途中での退店にはなるが、第二期が終了する来年11月に丁度タイミング良く屋台店主が求めている(理想の)場所の物件が空くということは現実的にありえないことだ。卒業したいという店主が自ら中心街で店舗を探し、そこが空いたらすぐに手を打つという行為は、彼等には屋台以後の長い人生が掛かっているのだからごく当たり前の話で、北の屋台の事業期間中は絶対に屋台に縛っておくというものではないだろう。

今回入居するのがたまたま私の所有する物件であったということで何等問題は感じない。来年の11月まで(屋台店主に)空家賃を払わせて物件を押さえておくという行為は元々自己資金の少ない屋台店主にとっては無理なことだ」と答えた。

するとS相談役が「だが、その空いた店舗が北の屋台の関係者の所有物件というのはいかにも問題だ。北の屋台は全国的に注目をされているのだから、傍から見て変だと思われるような行為は厳に慎むべきだ。

ましてやそれが一番注目されている坂本の物件であれば第三者から見れば尚更利益誘導をしているように見える。センナリとの契約の解除や延期は出来ないのか?」とトンチンカンなことを言う。

私は「勘違いされては困る。この物件に関しては六花亭の東側という場所的にも帯広では一等地なのでセンナリ以外にも入居の打診は数件来ていたが、センナリがどうしても入りたいと入居を切望したので、もう一人のオーナー(K原)と相談して認めたものである。今回の契約にあたっては、センナリには何等の瑕疵もないから契約の破棄などは出来ないし、するつもりもない。この物件は私一人が所有している物件ではなく、北の屋台とはまったく無関係の人(K原氏)との共有物件である。その人に対しても迷惑は掛けられない」と答えた。

するとT副理事長が「センナリの退店に関しては自由意志だから止められないとしても、今回のセンナリの空いた屋台の後を起業塾という募集の方法は認められない。奇麗事を言うなら責任を取って坂本には辞めてもらう」と言う、T副理事長は地遊舎の報復として、あくまでも私を辞めさせたいのだろう。

2人の女性職員も、このセンナリの事案の事務所内での経緯(K専務理事を含めて4人で話して来た内容や、Kが理事者を廻って説明するから理事会を開かなくてもよいと言っていたこと等)を説明し始めたが、T副理事長によって「あなた達は理事者ではないから発言は控えなさい!」と発言を止めさせられた。

K専務理事の裏切りを証明する女性職員の意見まで抹殺されて多勢に無勢、、Kの裏切り行為に気力を失った私はもう諦めるしかなく、「そこまで言われるなら辞めます」と言わされたのであった。(つづく)