フィンランドに行って来たことはこのブログに書いたが、一度でも行ったことのある場所というのは、その後も何となく気に掛かるものである。(この文章は19日午前に書いている)
今朝の新聞に、フィンランドの選挙の結果、反EUで移民規制やポルトガルへの援助に反対する「真正FIN人党」が第3党に躍進したという記事が載っていた。
この記事だけから判断するとフィンランドはかなり保守的になっているように感じる。
また、今朝のワイドショーで「100000年後の安全」という映画の宣伝をしていた。フィンランドの映画だというので見ていたら・・・。
地震が世界で一番少なく、固い岩盤が多いフィンランドでは、自国の原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物を、固い岩盤をくり抜いて地下500mに永久地層処分場を建設中なのだそうだ。
場所はフィンランドのオルキルオトという場所でその施設はオンカロと呼ばれるとのこと。
その高レベル放射性廃棄物が生物に完全に無害になるのに要する年月が10万年とのことで、映画のタイトルが「100000年後の安全」ということになったとのことだった。
昨晩のテレビ番組でも、原子力の専門家の科学者は「安全に造れば原発は絶対に安全なのだ。福島原発は安全に造られていなかった・・・」というような話をしていた。
私は原子力のことは素人でよく判らないが、ことの本質はもっと単純なことだと思う。
原発を安全に造れるか、造れないか、なんていうことが問題なのではない。
「現代の人間が享楽を得る為に、電気を必要とし、そのカス(高レベル放射性廃棄物)の処理は、現代科学では、まだ不可能だから、科学技術が発達するであろう未来に、その処理を委ねる。」というその姿勢が問題なのだ。
いわば「自分達の子孫にツケを回して、自分達は享楽の限りを尽くす。」ということに等しい。こんなことが許されようはずがない。必ずや子孫に恨まれる。
原発は安全に造れるかもしれないが、廃棄物の処理が現代の技術で出来ないなら原発を造るべきではない。
日本人も、もっと少ない電気でも暮らせるように生活スタイルを変えれば良いだけだ。
便利さには不可逆性があると何度もこのブログに書いてきた。一旦享受した便利さは捨て去り難いのだと。
しかし、この未曽有の大災害を契機として、日本人の価値観を変えなければ、日本に未来はない。
愚かな政治家共は、この災害を契機にして、もっと便利な東北地方にして利権をアサロウとしている。科学者や政治家は奢っている。
私が1999年に北の屋台を発案した時に作ったスローガンが「便利さが殺すコミュニケーション、不便さが生み出すコミュニケーション」である。
いまこそ、これを実践する時ではなかろうか!