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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-06-25-Saturday 帯広市中心街の

帯広市中心街のビルが

ドンドンと壊されていくようで寂しい。

我が社、坂本ビルが地上6階地下1階の「サニーデパート」としてオープンしたのが1969(昭和44)年10月31日のことであった。以来今日まで、まがりなりにも44年間は営業を続けている。

当時の帯広市に我が社の前に建っていた大型の商業ビルディングは1959(昭和34)年の「かじのビル」、1961(昭和36)年の「藤丸デパート」、1966(昭和41)年の「ステーションデパート」、1968(昭和43)年の「金市館」だけで、「サニーデパート」の後には1970(昭和45)年に「長崎屋」、1975(昭和50)年に「イトーヨーカドー」が建った。

この内、現在も帯広市に残っているのは、我が社より古いビルでは「かじのビル」だけになってしまった。「ステーションデパート」と「金市館」はすでに解体されその跡地には別の建物が建っている。

「藤丸デパート」の建物は「北洋銀行ビル」としてこの5月までは使用されていたが、現在は解体を待つだけになっている。

我が社よりも新しいビルの「長崎屋(いせきビル)」はかなり前に解体され、現在は駐車場になっているし、「イトーヨーカドービル」は1998(平成10)年に移転して以来、空きビルのまま十数年間も放ったらかしの状態である。確か1983(昭和58)年の建築だったはずの「ホシビル」もすでに2010年1月に解体され駐車場になっている。ホシビルに至っては、バブル時代にかなりお金を掛けて建築されたビルなのにたったの27年間で解体されてしまった。

時代の移り変わりとはいえ何とも寂しい限りだしモッタイナイ。

建物の耐用年数は法律上は55〜60年あるのに、なぜに壊さなければならないのか?繰り返すが実にモッタイナイことだ。

昨日、西2条7丁目の南西の角に建っていた「チャームビル」という名の2階建ての飲食店が解体工事中であったのを目にした。

一時期、帯広の固定資産税の7割を中心街が負担しているという話しを聞いた事がある。市役所の職員に確認しても教えてくれなかったので真偽のほどは分からないが・・・。

帯広市は市内の中心部にこんなに空き地を作ってどうするつもりなのだろうか?市の固定資産税収入だってかなりの減少をするはずだろうに。

もう少し、真剣に中心街のことを考え直さなければ帯広市は衰退してしまうだろう。市役所は危機感が薄いようだ。