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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-06-30-Thursday 帰国

28日に倉本聰さんが

主宰していた演劇集団「富良野塾」が解散した後に、塾生らが造った演劇集団「富良野GROUP」の公演「帰国」が帯広の隣町の幕別町百年記念ホールで催された。

この「帰国」は棟田博原作の「サイパンから来た列車」を元に、倉本聰さんが作・演出をした作品である。

時代設定は昭和86年というから現代2011年の8月15日の真夜中過ぎ、東京駅のホームから最終電車が発車したところから始まる。

サイパン島沖で戦死した英霊たちが、現代の日本に戻って来て、その変わり様に驚くという物語だ。

「幸せ」とは何か、「便利さ」とは何か、「豊かさ」とは何か、「家族」とは何か等などを気付かせてくれる内容の演劇で、劇中何度も、「ウ〜ン、そうだよなぁ〜」と考えさせられる。

特に尊厳死の問題に関しては、まさしく現代日本の歪みであるように感じた。恐らく、誰もが尊厳死はあって良いと思っているのだろうに・・・。

戦争中の手紙の検閲などが無い分、我々現代人は自由なのかもしれないが、しかし、逆に失ったものもまた大きい。特にそれは人情であろうか?

お金が有ることが、便利さに溢れることが、本当に幸福なのか?

劇中に出てきた「貧幸(ひんこう)貧しくても幸せ」という言葉に、お金に振り回される現代人の不幸と心の余裕の無さを感じた。

ご先祖さまが居たから、今の自分が居るということのありがたさをもっと感じなければいけないだろう。英霊に犬死にだったと嘆かせるようなことはしてはいけない。

私は演劇やミュージカルや寄席などが大好きだ。これも父親の影響かもしれない。幼い時から観に連れて行ってくれたからだ。有り難かったと今も感謝している。

この倉本聰さんの演劇集団が十勝に公演に来た時には必ず観に行っている。

この演劇集団に知人の娘さんが参加しているということもあるからだ。松本りきさんという女性で、父親とは帯広青年会議所で一緒だったし、私の娘が通っていた「アンジュバレエ教室」と「ユニバースフィギュアスケート教室(指導:川原泰子)」で娘らが松本りきさんと一緒に習っていたという関係から、いつも公演のご案内をしていただけるからだ。

松本りきさんは高校生時代に、自宅から遠い場所(西帯広)にある「アンジュバレエ教室」に雨の日も自転車で通っていたという頑張り屋さんだ。この頃から舞台女優を目指してバレエやフィギュアスケートを習っていたという。この公演では中央で踊る主軸のダンサー役で出演していた。

ご両親は、当日も会場受付で裏方さんとして仕事をしていたが、娘が頑張っている姿を目の当たりにしたら、親としても応援したくなるという気持ちは良く分かる。

毎回、倉本聰さんも一緒に来て、舞台の最後には登場するが、杖を付いて歩かれていた。足が悪いのだろうか心配だ。北海道からもっともっと素晴らしい役者を生み出してもらいたいと思う。

話はガラリと変わって、26日の夜中の1:20にまた電波時計の針が回り出した。28日も1:00にまた同じ現象が起きた。

この現象の後、1〜2日後には震度4クラスの地震が起きているからまた心配である。

もしも、この電波の乱れが地震に関係有るなら、地震予知に役立つかもしれないなぁと思った。