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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-09-11-Sunday 失言?

鉢呂新経産相の辞任が取りざたされている。

(この文章は10日午前中に書いている。)

新聞によると8日夜に、福島第一原発の視察を終えた後に、報道陣の一人に「放射能をうつしてやる!」と言って防護服をすりつける動作をしたという。

また9日午前の記者会見で「残念ながら周辺町村の市街地は人っ子一人いない死の町だった」と発言したことが問題だとされている。

この2つのことは一緒くたにしてはいけないと思う。

最初の「放射能をうつしてやる!」は、小学生のガキじゃあるまいし、何をおだっているのか。配慮の足りない児戯に等しい行為である。

おそらく旧知の記者にでもフザケテやったのだろうが、はっきり言ってバカ丸出しで、子供っぽい。弁解のしようのない行為で、こんな程度の人間にエネルギー問題や経済の問題を担当してもらいたくないという感情は理解できる。

ただし、二つ目の「死の町」発言は、「言葉狩り」ではないのか?

表現の稚拙さはあるにしても、表現の仕方に難癖を付ける現代の風潮には疑問を感じる。

ましてや、それが即辞任につながるのでは、怖くて記者会見など出来はしないだろう。

表現というのは文化である。

その表現の仕方に制限を加えるのは、文化の自殺行為に他ならない。

人っ子一人居ない町を見て「死の町」と表現することが、どこが悪いというのか?

確かに、避難している住民にとってみれば著しく配慮に欠けた表現だろう。

しかし、他人に状況を伝達する手段としての言葉の表現の仕方に、穏当な表現だけを使用しなさい。と言うのは、逆に問題があると思うのである。それこそ的確な表現が難しくなるだけだ。

「死の町」と過激に表現することで、これではいけない。早く福島をなんとかしなくてはならない。ということに国民がなる可能性だってあるだろうと思う。

児戯に等しい行為と表現の仕方の問題を同列に扱って辞任を迫るというのも、文化度が低いと言わざるをえない。

ところが、鉢呂大臣は「死の町」発言を撤回、陳謝し、「放射能をうつす」は覚えていないというから、私の考え方とはまるで逆である。

野田首相も藤村官房長官も「死の町」発言は問題だ。と言っている。

国民におもねっているのか、マスコミに問題だと指摘されたら、とりあえず謝っておけば良いとでも考えているのだろうか?

マスコミも言葉の端々に、愚にもつかないチェックを入れるよりも、事の本質を追究してもらいたいものだ。