突如現れた秋間美江子さん(85歳)が4日午後2時56分の列車に乗ってお帰りになった。
いつも突然に現れるから、当方も仕事などのスケジュール調整がままならず、十分な接待ができないのが心苦しいところだ。
ボルダーでは家(セカンドハウスを丸ごとお借りしたこともある)や自動車(秋間さんの自家用車)を貸してくれたり、いろいろな場所に案内もしていただいたりして、さんざんお世話になっているから、帯広に来られた時には恩返しをしたいと思っているのだが・・・。
4日は10時から妻が、百年記念館や美術館にお連れした。私は午前中はどうしてもはずせない仕事があったので、昼にばんえい競馬場で落ち合った。
あいにく、ばんえい競馬は火曜日はお休みで、とかち村を散策してから、帯広名物の豚丼を食べに「ぱんちょう」に向かったが、ここも休業であった。
帯広駅構内の「豚はげ」に行って豚丼を食べながら、いろいろな話を聞いたら、今回は東日本大震災の赤十字のボランティア活動でアメリカの各州立大学の学生数十人のボランティアを引き連れて来たのだという。
6週間にわたって気仙沼の病院に寝泊まりしながら、ボランティア活動をしてきたのだという。自身が乳癌などを患っていて、しかも85歳という高齢なのに、アメリカから学生を連れてきてボランティア活動をするとは驚き以外のなにものでもない。すごいバイタリティと体力である。
気仙沼では、晴れると虫が沢山湧く様に出てきて難儀したり、魚が腐った様な異臭が酷くてマスク無しでは作業が出来ないが、マスクをすると息が苦しくて困ったとか、シャワーは1日1回5分だけしか使用できないとか、食事はおにぎりばかりが続いたので、さすがにもうおにぎりは当分見たくないとか、自分よりも若い老人の世話をした話などを聞いた。
85歳の老婦人が、アメリカから来て、6週間もそんな状況の場所でボランティアに従事するとは、ものすごいことだ。私には到底できない。
私が始めてボルダー市を訪れたのは16年前の1995年2月のことであるが、直前の1月に起きた阪神淡路大震災の時にも秋間さんはボランティアで神戸を訪れているのだ。16年前とは秋間さん自身の年齢も体力も衰えたはずなのに・・・。
4日は列車で大宮の実家に戻るという。
11月初旬に卒業70周年の同窓会があるのでとても楽しみだという。それに参加してからアメリカに帰国するという。
いつまでもお達者で活躍して欲しい。