«前の日記(■2011-10-18-Tuesday) 最新 次の日記(■2011-10-20-Thursday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-10-19-Wednesday 観光について

このブログは観光カリスマのブログと称しているので

今回の凾館観光で感じたことをいくつかまとめてみることにする。

まずは、函館の市民、特に観光業界に携わる人々が函館の観光に関して「自信」と「誇り」を持っていなさそうだということがとても気に掛かる。

タクシーの運転手も、食堂の職人なども、何だか自虐的な発言が目立ったのだ。

ホテルの部屋に、函館の観光案内書が置いてあったのだが、その中の「箱館奉行所」の小さな紹介記事は「(地元市民は見ない)観光客用の施設に大金を掛けやがって、どうせ観光客しか見ない施設だから、観光客は見に行って入場料を収めてくれ・・・、」と云う様なニュアンスがなんとなく感じられたのだ。書き手の個人的な見解というか主観なのだろうが、観光案内書にこの記述はないだろう。

私は実際に見学してみて、この施設が16億5千万円強で出来たのなら、函館市にとっては安いものだと感じたのだ。殺風景な五稜郭公園内に文化的にも価値の高い本物の施設が出来たことで、五稜郭の歴史的価値が高まったと思うからだ。この「箱館奉行所」を低予算の安普請の張りぼてで造ったのなら、それこそ金をどぶに捨てるようなものだろうが、発掘調査から古文書などの調査を経て、当時となるべく同じ手法と材料で忠実に再現した試みは十分に評価できる。

惜しむらくは、展示物の貧弱さと、中途半端さである。ビデオの放映はとても良く出来ているのだが、新しい試みとしてコンピュータを使った展示があったが、こんなものの開発に金を使ったのはいただけないと感じた。

入口での入場券の自動発券機もいただけない。働く人が居ないというならまだ理解もできるが、その場に3〜5人程度の若い女性が居たのだ。しかも発券機の横の受付に、切符の「もぎり」用に2人の女性が座っている。なぜ、ここで切符を売らないのだろうか?

老人や外国人などが機械に慣れていなくて戸惑っていた姿を見掛けた。女性スタッフが機械の操作法を教えていたが、そんな面倒なことをするくらいなら、最初から人間が売れば良いではないか?

その時に「どちらからいらしたのですか?」とかのコミュニケーションを図れば尚の事良いではないか?

何の為に、高価な機械を入れて、人のコミュニケーションを阻害させてしまうのだろうか?

観光とはすなわち「ホスピタリティ」である。

気持ち良くなって帰ってもらうことで、また来ようと感じてもらわなければならないのだ。

それなのに、わざわざ、観光客の気分を悪くさせる様な対応の仕方をさせるとは、観光とは何なのか、根本を理解していない人間が観光業界のトップにいるのかもしれないなぁ。

タクシーの運転手に朝市に行ってくれと言ったら「朝市では買わない方が良いですよ」というようなことを言う。

朝市で「朝市に美味しい寿司屋がないか?」と聞いたら朝市の人は「朝市には美味しい寿司屋はないから、タクシーで○○○に行った方が良いですよ」と言う。時間がないから薦められたところには行けなかったが、朝市に隣接している「凾館朝市どんぶり横丁」の寿司屋に入ったら「朝市ではお土産は買っていけない」と言う。

一体、函館の観光業者は何を考えているのだろう?!

お互いがお互いをけなしている。

観光客にしてみれば、うんざりである。

何故に、ここで買って行きなさい。ここは美味いよ!自信と誇りを持って客に伝えられないのだろうか?

観光客用の施設は、夏の観光シーズンにしか客が入らないから、そして一見の客だから、どうせお得意さんやリピーターには成り得ないと思っていい加減な商売をしがちである。

だが、そんなことを繰り返していたら、こういう様な事態に陥るのだ。

地元民が喜んで足を運ぶ施設、地元民が誇りを持って見に行って下さいと客に対して言える施設、そしてそれに携わる人々のホスピタリティ溢れる対応、この地道な活動しかないのである。

観光業は、地震、災害、事件、事故などに弱い不安定な産業である。ここ最近は、狂牛病、SARS、インフルエンザ、火山噴火、地震、原発事故と立て続けに色々と起きて、体力を消耗しているのも事実だ。

しかし、一発逆転満塁ホームランを打つにも、前の打者が出塁して、満塁にならなければ、いくら頑張っても満塁逆転ホームランは出ない。

まずはコツコツと塁を埋めていくことが必要なのである。

地元民の意識改革も重要だ。地元民が自分達の暮らす街に自信を持てなくてどうする!

リーダーのやるべきことは、目的と戦略を明確にして、それを実行に移すことである。