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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-01-02-Monday 新年二日目

朝7時に起きた。

昨夜、雪が降っていたから雪かきをしなければならないからだ。10㎝程度の積雪である。まずは朝飯前に除雪を済ませてからテレビを点けた。

今日と明日は「箱根駅伝」があるからだ。

今年は母校の駒澤大学が、東洋大学と早稲田大学とともに3強として優勝候補にあげられているから期待しているのだ。

2区まではまぁまぁの展開であったが3区で遅れてしまった。5区の山登りには東洋大学の柏原という怪物がいるから、何とかそれまでに東洋大学には勝っておきたいところなのだが・・・。

何と逆に東洋大学がトップで5区の柏原にタスキを渡すという最悪の展開になってしまった。柏原は自己記録を塗り替える快走で何と2位に5分以上の圧倒的な差を付けてトップでゴールし往路優勝を果たした。駒澤は4位で6分44秒差であった。これではよっぽどのアクシデントでも無い限り、東洋大学の優勝だろう。明日の復路がつまらなくなってしまった。

元旦の早朝に親類が亡くなったが、私の死んだ父のいとこの夫という間柄だから、近いと云えば近いし、遠いといえば遠いという微妙な関係である。帯広での葬儀だし、足の悪い母が出席するので、当然私も付き添いで行かなければならない。

年末の留萌の叔母の葬儀の時に来た白いワイシャツをクリーニングに出してまだ戻ってきていないので、午後2時から白いワイシャツを買いに出掛けた。最近太ってしまって買い置きの白いワイシャツで首が締まるものが無いのだ。この時間帯なら空いているかと思ったのだがデパートも混んでいる。何もこんな年初に買い物なんぞに出なくても・・・。

福袋なら午前中で無くなるのかと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。我が家は福袋というのは昔から買わない家庭なのだ。我が家が火事になった(昭和42年11月27日未明)の次の昭和43年の正月に一度だけ買ったことがあったのだが、色もデザインも好みに合わないものばかりだし、サイズも合わなかったので、着られるようなモノが何一つ入っていなかったから以来買ったことがない。

最近は予約制で自分の気に入った洋服を選べる福袋というのもあるらしいが、いくら安くても不要なモノは欲しくはない。

通夜に出る為に夕食を早目にしなければならないし、おせちにも飽きたのでカレーライスを作った。最近キーマカレーというひき肉で作るカレーに凝っている。私はタマネギ・じゃがいも・人参・リンゴをみじん切りにして作るのである。妻の両親も気に入っているので大目に作り置きしておくのだ。食パンに挟んで食べても美味しいから、お餅にも合うかもしれないので正月にはちょうど良い料理かもしれない。

6時からの通夜に出掛けた。

亡くなった親類は足立純朗さん(78歳)という方で、その奥さんの淑子さんが有田重太郎(私の祖母ハナの兄)さんの末娘で父のいとこに当たるという関係である。いつも控え目であるが、裏方では完璧な仕事をされる方で青年会議所関係でも薬剤師関係でも信頼の厚い方であった。

正月の二日ということもあって、新聞に死亡広告は載せられないし、会社はまだ休みだし、青年会議所やら薬剤師関係の連絡網だけでの告知であるから、参列者は足立さんの人柄から考えたらかなり少な目であった。明日の朝刊に死亡広告が載るとのことなので、それを見た方々が明日の告別式には大勢参列されることだろう。

親戚関係の席に座っている人も少な目である。皆、他界していたり入院中であったり、正月で飛行機やら列車やらの切符が取れないという人たちばかりである。

私の祖母のハナも昭和59年12月31日の大晦日に亡くなっているから、その時の葬儀と似た様な感じがする。宗派は我が家と同じ曹洞宗でお寺も同じ永祥寺である。葬儀委員長は、元帯広市長の田本憲吾さんだ。

青年会議所OBで田本さんの選挙をやった時の関係である。葬儀委員長の挨拶は、相変わらずの脱線気味の挨拶で、葬儀委員長の挨拶なのか弔辞なのかが判らないような感じであった。

通夜が終了して母を連れて帰ろうかと思ったら、喪主が親類が少なくて寂しいから一緒に写真に収まって欲しいと言うので、残って8時40分まで通夜の場に居た。私は田本さんの隣に座って、昔話を面白く聞かせてもらった。田本さんは昭和4年生まれだというからとてもお元気である。

明日の告別式は異例の正午からだという。焼場が混雑していてこの時間にしか出来ないのだと言う。

喪主から骨を拾って上げてと頼まれたので、明日も母と一緒に列席することにした。