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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-01-09-Monday 大河ドラマ

NHKの大河ドラマ

「平清盛」の第一回放送を見た。

前作の「江」は第一回を見て、あまりにも荒唐無稽な内容と、出演者のオーバー過ぎる演技に嫌気が差して3回目ぐらいで見るのを止めてしまった。

今年は期待していたのだが・・・。

まぁ、俳優の布陣は前作よりはましであろうが、時代考証は滅茶苦茶だと感じた。

しょせんドラマだからフィクションなのだし、登場人物に多少の過大・過小評価があってもそう目くじら立てるほどのことはないと思って見ているのだが・・・。

だが、根本の筋立てで、この作者は一体何を意図しているのか、訳が判らなくなってしまったのだ。

私は、恐らく、作者は殿上人(でんじょうびと)にはお目通りも適わないような下級の位にある武士が、やがて貴族らに取って替って政治を動かすようになる過程を描きたいのではなかろうかと考えていたのだ。

ところが、下級の位にあるはずの武士が、藤原摂関家の人間と路上で気安く話をし、しかもあろうことか時の最高権力者の法皇の前に直に出られるというような身分に描いてしまっては、その下級の位という部分が曖昧になってしまうのではないだろうか?と危惧する。

そもそも殿上人と云うのは五位以上の位にある人の中でも特に許された人しか昇殿できない人のことを言うのだから・・・、このドラマを見ていて、そんなバカな!と感じた部分だ。

確かに「北面武士」には四位の者もいたらしいし、上皇の警護をする役目だし、白河上皇は直接に武士に指示を出してもいたらしいが、それにしても、今回の設定は???

いくらドラマとはいえ、時代考証があまりにも杜撰過ぎるのではなかろうか?

もっと身分の格差を明確に表現した方が、その成り上がっていく過程が鮮明に描けるのではなかろうかと感じた次第である。まだ一回目だから判らないが・・・。

この時代のメチャクチャ且つドロドロに乱れた性をNHKがどのように描くのだろうかが楽しみだ。

何せ、白河法皇は孫である鳥羽天皇に自分の愛人だった璋子を嫁がせ、嫁がせた後も度々浮気していたという(鳥羽天皇は璋子の性技の虜になって沢山の子を産ませるが、後には若い得子にのりかえる)。

一応、鳥羽と璋子との間の子となっている崇徳天皇は実は白河法皇の子どもではなかったのかと、当の鳥羽が疑い、叔父子と嫌って讃岐に追放する。

都に戻りたいと願う崇徳は自らの血で写経をして後鳥羽天皇(崇徳の弟)に送るが、後鳥羽は呪詛が込められているのではないかと疑って崇徳の元に送り返す。崇徳は嘆き怒って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし、民を皇となさん」と髪も爪も伸ばし放題にして生きたまま天狗になって皇室を呪ったという。これが言霊となって現実化し、武士に取って代わられるというのが、長らく皇室が信じてきたことであった。だから明治になって再び武士から天皇に政治が戻ったおりに明治天皇が崇徳上皇を奉じることになるという話は余談であった。

なにせ、皇族方の乱れた性で、争いが起こり、武士に取って代わられることになるのだから・・・。