«前の日記(■2012-01-11-Wednesday) 最新 次の日記(■2012-01-13-Friday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-01-12-Thursday バックギャモン

日曜日の夜にNHKで

放送された大河ドラマ「平清盛」の中で、松田聖子が演じる祇園女御が盤双六に興じる場面が出て来たのを見て、昔、私も夢中になって興じていたバックギャモンのことを思い出した。

バックギャモン(日本では盤双六)は4世紀頃にほぼ現在の形(15個ずつの駒をサイコロの目に従って上手く移動させながら早く全駒を上げた方が勝つという単純だが、サイコロの目の偶然性に左右される為に、将棋や囲碁と違ってビギナーズラックもある)に完成されたというゲームで、世界4大ゲーム(トランプ・チェス・ドミノ)の一つに数えられているものだ。日本にも飛鳥時代にシルクロードを経由して伝わったとされており、賭博に用いられることが多くて、国民がこれに興じて働かなくなってしまうので、たびたび禁止令が出されるが、日本書紀には689年(大化の改新が645年)に持統天皇が最初の禁止令を出したことが載っている。

つまり、日本には大化の改新の頃には既に伝わっていたということである。因みに現在も正月に遊ぶ「すごろく」は江戸時代は「絵双六」と言われ、盤双六が江戸幕府によって禁止されたことで考え出された遊びである。

私が大学2年生の昭和52〜3年頃に、当時、デパートなどでマジック用品の販売をしていた「テンヨー」という会社のマジックを考案する部門の方々が、このバックギャモンにハマって、テンヨーはバックギャモンを製造販売するようにまでなるのだが、マジックとともにゲームも大好きな私もすっかりバックギャモンにハマってしまったのである。

ちょうど、札幌の18歳年上の歯医者の従兄弟もハマっていて、札幌に行ったら徹夜で興じたものであった。

昭和55年位から全国大会が開催され出し、私も出場したこともあるし、全国地区対抗戦と称して、京都や東京のホテルで1泊で全国各地のチームと競い合ったこともあった。

私は「日本バックギャモン協会」のインストラクターでもある。

NHKの「平清盛」でこのバックギャモンの原型である盤双六が登場したのは、白河法皇の「天下三如意」から来ているのだろう。この三不如意とは「加茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞ我が心にかなわぬもの」と自分の意のままにならないものを3つ挙げた中に「双六の賽(サイコロのこと)」があるからだろう。白河法皇も盤双六が好きだったとみえる。

何でも収集するのが癖である私は、大学を卒業した後も世界中のバックギャモンボードを買い集めたりしたが、果ては、我が社の石の製品を作る職人に依頼して、黒瑪瑙と白瑪瑙という石で駒を、水晶でダブリングキューブを製作してもらったこともあったほどだった。

バックギャモンというゲームは、1920年代にアメリカでダブリングキューブが発明されたことによって全く新しく心理的な駆け引きを伴ったゲームになったことによって再びブームになっていく。

携帯用のボードを持って歩けるゲームだし、1ゲーム当たりの所要時間も短いから、気軽に出来るゲームでもある。

サイコロの出目に従わなければならないから、多少は偶然性にも左右されるが、いわゆる確率的な定石というのもあるのだ。

2000円位の安いボードから、ルイヴィトン製やダンヒル製の数十万円のボードまであるが、1万円位のボードを1台買えば、それ以後はお金がまったく掛からないゲームでもある。

不景気な時代にピッタリのおしゃれなゲームだと思うので、この大河ドラマをキッカケにして再び流行ることを願う。