«前の日記(■2012-01-22-Sunday) 最新 次の日記(■2012-01-24-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-01-23-Monday 21日

21日の土曜日は

昼から、この日公開の映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」を見に行った。このシリーズの3作目で、今回の設定は1964(昭和39)年の東京オリンピックが開催された年である。

第一作の設定が、私が誕生した1958(昭和33)で、東京タワーが完成した年だから、この映画には、何だか他の映画とは違う思い入れを感じてしまう。

東京オリンピックの時の記憶は6歳だから正直あまり残っていないし、我が家にカラーテレビが来た時の感動というのも、私は全く経験していない。それというのも我が家では、超がつくほどの新し物好きの父は、私が生まれる前の姉が誕生した1956(昭和31)年にはすでに白黒テレビを購入していたから、私は生まれる前から自宅にテレビがあったのだ。

こう書くと何だか自慢しているように感じるかもしれないが、帯広市のど真ん中で商売をしていて自宅も一緒だったから、テレビは客集めの重要な道具の一つでもあったのだ。普通の家庭が買うのとは事情が異なる。

カラーテレビも1959(昭和34)年の「皇太子ご成婚」の放送時に買っていたので、物心ついた時にはすでにカラーテレビが家にあったから、この映画のように「テレビが来たぞ〜!」とか「カラーテレビを買ったぞ〜!」というような感動的な場面を経験してはいないのだ。テレビがあるのは当たり前のことだと思っていたのである。

私が覚えているのは、東京オリンピック時は茶の間にカラーテレビと白黒テレビの2台が並べてあって、カラーテレビには布が掛かっていたことだ。

カラーテレビはカラー放送の時だけ布を開けて見ていたように記憶している。なぜ、父はそんなことをしたのだろうか?カラーテレビ1台だけで白黒放送もそのまま見られるというのに・・・。母に聞いても理由は判らないというし、カラー放送と白黒放送を同時に映して見比べていたのだろうか?父が他界した今となっては謎が残ってしまった。

この映画は、「今日よりも、明日の方が豊になっている」という昭和30年代の熱気ある高度経済成長時の暮らしぶりに対するノスタルジーと、その行き着く先の現代の物質文明の危うさとを上手く表現できていて、ところどころで笑わせてくれるし、ホロリともさせてくれる。

映画館で私と妻の真後ろの席に40歳代と思しき両親と20歳前後の息子と娘の4人が坐ったのだが、この4人が実にうるさいのだ。自宅の茶の間で見ているような気分で、映画の解説をやったり、ぺチャぺチャとおしゃべりをする。妻が舌打ちをしながら後ろを振り返ることを数度繰り返したら、さすがに恐怖心からか大人しくなったが・・・。マナーをわきまえない連中がいるものだ。

18時からは北海道ホテルで、柏葉高校同窓会の新年交礼会である。妻と私は柏葉26期(昭和51年卒業)の同期生であるから一緒に参加した。26期の同期生は9名しか参加しなかったが、全体では600名以上が参加して会場は溢れんばかりである。特に60〜80歳代の方々が大勢参加されていた。

今年の担当期は柏葉10期と33期である。途中で同窓の「ドリカムの吉田美和」のビデオレターが流れた。吉田美和は来年担当の34期である。来年は吉田美和が参加するのだろうか?

恒例の抽選会で、私に「ヤマシタ家具店の1万円分の商品券」が当たった。すると続けて次々と26期の他の2人にも商品券などが当たり、26期は参加9名中の3名が当たるという高確率で、帰りに他の期の人達から「26期ばかり当たりやがって・・・」とうらやましがられたのだった。

9名の内の一人が帰って、二次会に8名が繁華街に出た。23時過ぎまで飲んで、もう一軒行くか!となったが、さすがに疲れたので自由解散にした。最近は午前様まで飲んでいられないのだ。

同窓会というのは、高校生の時代にまで返って話せるからとても懐かしくまた楽しいものである。