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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-04-09-Monday 巨人、大鵬、玉子焼き

私は昭和33年の早生まれである。

当時の子どもの大好きなモノとして、巨人・大鵬・玉子焼きの3つが挙げられるが、最初の2つは強いモノの代名詞であった。プロ野球に関しては、当時の北海道で放送されるナイター中継は巨人戦だけであったし、昭和33(1958)年に巨人軍に入団した長嶋茂雄と翌34(1959)年に入団した王貞治のいわゆるON砲の活躍で巨人軍が昭和40(1965)年から昭和48(1973)年まで9年連続日本一になった頃、私の中では巨人以外は球団ではないという状態であった。私は生真面目な王貞治よりも、陽気でチャンスには滅法強かった長嶋の方が好きであった。

その長嶋は10連覇が成らなかった昭和49(1974)年に現役を引退し、すぐに巨人軍の監督に就任した。昭和40(1965)年に導入されたドラフト会議以降は、巨人も金で有力選手をかっさらうことが出来なくなり、プロ野球チームの戦力が拮抗してきたことが一番大きな原因であろう。V9選手たち自身も、そもそも長嶋本人が引退しているし、皆、歳を取ったから戦力の低下は当たり前の話である。だから長嶋巨人はなかなか勝てなかった。今でも覚えているがインチキ占い師の和泉宗章が「天中殺」だとか何だとか訳のわからないことを言ったのが少なからず読売の幹部に影響を与えたのかもしれない、長嶋茂雄は昭和55(1980)年に監督を解任されてしまった。占いや新興宗教などを信じる奴らは、確たる自分と云うものを持っていないから、長嶋が監督だとこの後もずっとジャイアンツが優勝出来ないと不安になってしまうのだろう。この瞬間から私はアンチジャイアンツになった。長嶋監督の野球は勝てなかったが、それは川上哲治前監督が選手の育成をしてこなかったからだ。それなのに川上は長嶋をこき下ろした。私は長嶋はあの戦力で面白い野球をやっていたと思っている。

長嶋を解任した後、人気が低下した巨人は平成4(1992)に再び長嶋を監督に戻すが、私のアンチジャイアンツは元には戻らなかったのだ。

そのジャイアンツが、今年は開幕戦から負け続けて、8日午前の段階で何とあの中畑DeNAよりも弱い最下位に低迷している。朝日新聞が書いて週刊誌をにぎわせているドラフトで取った選手に裏金を出していた問題も、あいかわらず金権体質丸出しでみっともないし、FAの選手らを金で集める姿勢もいただけない。そこまで金を使って、スゴイ選手を集めているのに・・・、原の方が監督としても長嶋より無能だろう。これだけの戦力を与えられて勝てないのだから、事前の予想では全ての野球評論家は巨人が優勝だとしていたのに・・・。まぁこの戦力だからいつまでも最下位ということはないだろうが・・・。