21日に地元の新聞、十勝毎日新聞の「論壇」欄に掲載された私のコラムを載せたが、新聞では字数が足りない為に、十分に真意が伝わらないと思い。今日は補足を書くことにした。
大抵の街で行われている事業は、まちづくりと称してはいるが、とてもそのレベルには達していない事業が多いと感じている。
その最大の原因は、構成員のジェネレーションギャップ(年代差)にあると思っている。一番困るのが「年老いた後継者の居ない店主が、近い将来に店を閉めるが、自分の生活もあるからもうしばらくは営業を続けたい。商店街の改革をするなら自分が店を閉めてからにして欲しい」と云う類の意見である。
商店街には若いヤル気マンマンの人も居れば、脂ののりきった中年もいるし、店を閉めようという老年の人も居る。色々なタイプ、年代の人達が居るのが商店街だから、上記の様な意見を老年の人に言われてしまうとヤル気のある若者は余所に移ってしまい。老年だけの商店街になってしまうのだ。
もう一つ言わせてもらえば、商店主の「勉強不足」につきるとも思っている。
普段は商売に忙しくて、まちづくりに関しては全く関心も寄せていない様な不勉強な人間が、会議に出てきては主観だけの言いたい放題のことを言って会議をぶち壊す傾向が強いと感じているのだ。
自分の意見を述べることは良いことだ。しかし、他人の意見には一切、聞く耳を持たないと云う態度で会議に出て来られたら、その会議は一歩も前に進めなくなる。
その意見も、主観ならまだしもだが、自分の都合しか考えない人だともっと悪いことになる。
まずは、商店街の構成員の八割方以上の人が、商店街を何とかしなくてはと云う共通認識を持つことが不可欠なのである。
商店街は、その商店街ごとの成立要件、歴史、客層などがバラバラであるから、余所の商店街の成功事例をそのまま持って来ても上手くはいかないだろう。
まずは、ジックリと己が商店街の特性を把握することが肝要であるのに、そこをなおざりにして、すぐにイベントに走りたがる。
己が商店街をどうしたいのかと云う共通の目標を創りださなければ途中で空中分解してしまうのがオチである。
その共通目標を達成する為の手段として、段階的に、こう云う事をやろう、ああ云う事をやろうというのが順番である。
私が考える帯広の「平原通商店街」の最終的な将来像は「コミュニケーション豊かな場所にする」と云うことであるが、コミュニケーションを豊かにするには平原通の道路幅は24mもあるから広過ぎるのだ。
物理的に狭くすることは困難でも、視覚的、用途的には狭くすることは可能なのだが、問題点がある。それは道路法、道路交通法と云う法律だ。
平原通りは「道道」だから制約が厳しい。西3条通りの「市道」と交換してもらって道路使用の自由度を上げる必要があるだろう。その上で、歩行者優先道路、オープンカフェ、屋台、花壇、公共交通機関などで安心・安全に買い物や時間消費が出来る場所を目指す方が良いと考えているのだ。
こう云う将来像もナシにイベントを繰り返しても無意味ではないかと考えているのだ。
もうそろそろ、真剣に街の将来像を話し合う場があっても良いのではないだろうか?
具体的なイベントや施設造りの話は、本来はその後の話なのではないだろうかと思っている。