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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-07-09-Monday カンナ

高田崇史の小説

「カンナ」の最終巻が発売との新聞広告を見掛けたので、早速書店に行って買ってきた。

私は、高田崇史の「QEDシリーズ」とこの「カンナシリーズ」の歴史の謎モノは全巻読んでいる。

今回の「カンナ京都の霊前」はいわゆる「聖徳太子不在説」の内容であるが忍者等と結び付けていて、展開がなかなか面白い。

以前に読んだ関裕二氏の「聖徳太子は蘇我入鹿である」と云う本の内容に近い論である。私はこの関裕二氏の論には興味を持っていたし、かなり説得力のある説なので面白く読む事が出来た。

要は歴史は勝者によって都合の良いように捏造されると云うことである。だからこそ、敗者側の視点から見た歴史考察と云うものの重要性を感じるのだ。

歴史は覚えるモノではなく自分の頭で考えるモノと云う作者の考え方には共感を覚える。

高校生時代に日本史が大好きで、教科書以外の本も片っぱしから読んでいた。昔から好きなことは徹底的にツキつめてみないと気が済まないタチなのである。

この飛鳥時代前後の歴史にはこの高校生時代からズッ〜と違和感を抱いていた。

蘇我の出身である聖徳太子の一族を何故に蘇我入鹿が滅ぼさなければならなかったのか?と云う点である。

梅原猛氏の「隠された十字架 法隆寺論」(1972)を読んだ頃は、聖徳太子は当然居たと云う前提でいたからだが、何だか、この関裕二氏の論を読んで何となくスッキリした感がしたのである。

歴史の謎を解明するのは、パズルを解くような感じで面白い。新しい解釈が出る度に一応は読んではみるのだが、なかなかスッキリした説には出会わないものでもあるからだ。

「カンナシリーズ」が完結してしまったから、高田崇史氏にはまた何か面白い歴史の謎解明モノを書いてもらいたいと思う。