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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-10-24-Wednesday 秋間美江子さん2

24日夕方6時からのNHKの

「ニュースネット北海道」で秋間さんが北大にお兄さんの写真アルバムを「レーン・宮沢事件」の資料として寄贈する模様が放送された。

どうやら、北大は宮沢弘幸さんの退学処分の取り消しは確約しなかったように思う。もし、それが確約されていたら、このニュース番組でも公表したであろうからだ。権威を大切にしたい方々と云うのは頭が固いというか、例え、はるか前の本人が無関係だった時代の事でも、先人の誤りを認めたくないというのであろうか・・・。

このニュースで、秋間さんに寄り添っていた男性は、昨夜の「秋間美江子さんを囲む会」でお会いした千葉県在住の山野井孝有(80)さん(元・毎日新聞印刷部長)である。

今回、秋間さんを成田空港に出迎えて、札幌までエスコートしてきた方でだ。

囲む会に出席した15名のメンバーは初対面の人も多く、それぞれが、いかに秋間さんと知り合ったのかと云う自己紹介を一人10分以上も掛けて熱弁をふるった会でもあったが、中でも特に印象深かったのがこの山野井さんであった。

山野井さんの息子さんである泰史さんは日本で3本指に入る有名なアルピニスト(登山家)であるらしい。「らしい」と書いたのは、私は、登山家がなぜ身の危険を冒してまで山に登りたいのか、その登山家の気持ちがまったく理解できないからだ。だから登山というものには全く興味が無くて、登山家の名前など一人も知らなかったから、「息子はアルピニストの山野井泰史です」と聞かされてもどんな方なのか見当もつかなかったのである(もちろん後からPCで検索してものすごい方だと実感した)。

この泰史さんが27年前の1985年にコロラドで登山中に事故に遭い膝に大怪我を負ってボルダーの病院に搬送されたが、秋間さんはその病院でボランティアをしていた。病院からの「英語が十分に話せない日本人青年の患者が居るから来て欲しい」との要請で呼び出されて親切に対応してくれたのがお付き合いの縁であるとのこと。

アメリカの病院は、日本の病院とはシステムが大きく異なり、患者が払える金額に依って治療方法のレベルがまったく変わるのだと云う。

秋間さんは泰史さんに「治療はどの程度のレベルでして欲しいか?完全に元に戻すレベルの治療なら○○円、後遺症が残っても仕方がないというレベルなら○○円」と説明したら、「これからも登山は続けたいから完璧に治療してもらいたいが・・・」と言ったそうな。泰史さんに「お金は持っているか?」と尋ねたら「持っていない」と言う。泰史さんは親に迷惑は掛けたくないと思っていたようだが、金が無ければ完璧な治療が出来ないからと、秋間さんが泰史さんに内緒で、日本に居る親の孝有さんに電話して治療資金を工面したと云う。これ以上の詳しいエピソードはここでは割愛するが、山野井さん一家とはそれ以来のお付き合いだそうだ。

秋間さんのボルダーの家には、学生時代にアメリカ旅行していた故小渕恵三元首相も滞在して秋間さんのお世話になったそうで、秋間さんが後に日本で総理大臣表彰を受けた時に、「あら〜貴方は・・・」となったらしい。秋間さんは面白いエピソードには事欠かない方だが、その中に私も入っているかと思うと嬉しい限りである。

秋間さんには、これからも元気にしてもらい、日本とアメリカの橋渡しを続けてもらいたいと願っている。