舞台劇「明日悲別から」を観てきた。
倉本聰が富良野で演劇の塾を運営しているが、その塾生に帯広出身の松本りきさんが居る。我が家の娘と同じバレエ教室に通っていたという縁もあるし、父親とは青年会議所で一緒に活動した仲でもあることから、いつも十勝での公演には案内をしてくれるのだ。
私は元々生の舞台を観る事が大好きだし、いつも良い席を確保して頂けるので妻も喜んで観にいっている。
この「明日悲別から」は以前にも観たことがあるが、3.11の東日本大震災が起きてから、新しく福島原発バージョンを作ったというので今回も是非とも観たいと思ったのである。
基本的には前作とほとんど同じであるが、登場人物が勤めに行く先が福島第一原発なのであった。
前作とは僅かに炭鉱が閉山になった後の再就職先の設定が変わっただけなのに、この演劇が意味するところが随分変化したように感じた。
人間の本質とは何か?
便利さは人間を幸福にするのか?
誰がこんなに過剰な便利さを望んだのか?
誰がそれを推進しているのか?
等など・・・・
私の持論である「便利さが殺すコミュニケーション」「不便さが生み出すコミュ二ケーション」にも通じるものがあると感じたのである。
本来、「便利さ」というものは人間を幸せにする為の手段であったはずだ。それがいつの間にやら、人間を幸せにするという目的をはずれ、限りなく便利さの追求になっている。もはや、便利さは人間を幸せにするどころか、不幸せにしているのではないだろうか。
手段がいつの間にか目的に変化している。これは皮肉以外の何物でもない。
原点に返って人間を幸せにすることに目的を修正するべきであろう。
特に、海外に行ってみると肌に感じるが日本の便利さはいささか過剰である。