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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2013-03-12-Tuesday 丸2年

東日本大震災から丸2年が経過した。

この日亡くなった方々は三回忌と云うことになる。月日が経つのは早いものだ。

11日はテレビ各局が特集番組を組んでいたから、普段あまりテレビを見ない私も否応なく目に入ってくるが・・・。

見ていると、最初は大変だったんだなぁ〜と云う気持ちで見ていたのだが、見ているうちに段々と違和感を覚えるようになってきたのである。

国の対応にも、行政の対応にも、住民の対応にも全部にである。

まずは国の助成のやり方には疑問だらけだ。正にお役所仕事、特に防潮堤の高さやその進め方には大いに疑問が残る。そもそも自然に対して人間の浅はかな知恵など勝りようがないことに、もういい加減に気が付いてもよいのではないか?

かつて造っていた防潮堤よりも今回の津波が大きかったから、今度造る防潮堤はそれ以上の高さに造るっていうのは幼稚園児の知恵に等しいだろう。何の教訓も生かされていない。

第一、コンクリートの耐用年数はせいぜいが70〜80年程度にしか過ぎない。百年に一度とか千年に一度とかの津波に備えて造っていても役に立つ前に耐用年数がきて壊れてしまうかもしれない。それに、地震がいつくるのかは未だもって分からないというのだから、こんな防潮堤なんていうものは建設業者の儲け仕事以外のないものでもないだろう。

海と共に生きている地元民の意見も聞かずに、霞が関にいる想像力の著しく欠如した連中が決めることの方がオカシイだろう。こんな高さ10m、幅45mなんて壁を造ったら、景観は損なわれ、生態系が変わり、漁民などの生活が難しくなる。もしも、実際に津波が迫って来た場合も、海が見えなくなることの方が、遥かに危険なのではないのか?こんなもので東北の海岸を塞いでしまったら東北は人の暮らす場所ではなくなるだろう。

行政も、国の援助がなければ何もできないというのがオカシイ。金を握っている国の言いなりになるしかないなんていうのは本末転倒であろう。

行政マンの人手不足も深刻な様だが、全国の自治体からの支援の行政マンも仕事の途中で戻されるのでは、一旦進んだ仕事をまた一からやり直さなければならなくなるから益々時間を浪費することになるだろう。なんてバカな支援の仕方なのだろう。これでは復興を遅らせに行っているようなものである。

震災の傷跡をモニュメントとして残す事業にも違和感を感じた。1億5千万円も掛けてニセモノの一本松を残すよりは、今現在生きて生活している人への救済に使った方がよっぽど良いのではと感じたのである。

震災直後から2年も時間が経つと、被災者の生活や思惑にも震災直後とは違ったものが出てくるようだ。

それぞれの人が権利の主張を始めたら、町毎全部の高台移転など出来るはずもない。

2重ローンの問題や仮設店舗などの問題を言っている人もいたが、これにも違和感を覚えた。自宅や店舗を建てた直後に被災した人は確かに不運であるが、しかし、それは自分が選んだ場所に問題があったのではなかろうか?

私の祖父は土地を購入する時には地盤、水の流れなどを綿密に調べてから購入したという。自分の財産を買うのだから自分でキチンと調査して納得して買うべきだろう。

今回の被災した場所は、過去にもほとんどが津波の被害に遭っている場所であろう。地震で倒壊した場所も過去には海や沼や湿地を埋め立てた場所であったりする。つまりは地盤が緩い場所な訳だ。

地震ではなく大雨で山崩れを起こすような場所や、洪水が起き易い堤防沿いの低地なども同様だ。

自分の財産を建てる場所に対して無頓着過ぎるような気がしてならない。

それを国に補償しろというのは、気の毒だとは思うけれども何か違うんじゃぁないの?と云う感じがした。

日本に暮らす以上は天災が付きものである。火山が多いから温泉も出る。山が多いから水に恵まれているなど、自然の恩恵も多いのだから、自然と一緒に暮らすしかないのである。自然を拒否し、人間の浅智恵で自然を抑え込もうなどとは考えないことだと思うのである。自然と共生する。天災も受け入れる(但し、減災はする)。これが日本人の生きる術であろうと思う。