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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2013-05-27-Monday アスパラガス

26日、自宅に

アスパラガスが届いた。

幕別の農家「北海道ホープランド(畑作)」の妹尾さんからである。

ホワイトアスパラとグリーンアスパラを半々に送っていただいた。今年は気温が低かったから出来具合を心配していたのだが、どちらも甘くて瑞々しく、とても美味しかった。

妹尾さんとのお付き合いは、2000年からで、北の屋台を作る前年からになる。

北の屋台のプランは1999年から始まっていたが、2000年には実験化事業の認定を受けていよいよ本格的にプランを煮詰めていた頃のことであった。

地元の農家の方々に屋台を出店してもらいたいと考えていたところに、ちょうどタイミング良く、十勝中小企業家同友会の農業部会で元気が良い4人組がいると紹介されたのが、後に北の屋台で「農屋(みのりや)」をやってくれることになる妹尾さん、「夢がいっぱい牧場(肉牛)」の片岡文洋さん、「あすなろファーミング(酪農)」の村上勇治さん、「梶山ファーム(畑作)」の梶山初憲さんの4人であった。

皆さんこの当時は一番年長の妹尾さんが56歳で以下一番下の村上さんが51歳であったから、現在の私と同じような年代で4人とも元気一杯であった。

北の屋台の成功の要因はいくつかあるが、「農屋」さんが出店してくれたことも大きな成功要因の一つである。農業王国十勝を象徴する屋台として、地元の畑作農家から酪農農家まで3種類4軒が集まって出店してくれたことで、地産地消、地元の新鮮な肉や野菜などを提供する屋台というイメージが出来たことがとても大きかった。

この4人はいずれも研究熱心な方々で、新メニューの開発にも尽力してくれたから初期の北の屋台のイメージづくりには多大なる貢献をしてくれたのである。

私が北の屋台を去った2007年には、彼ら4人も、屋台で使っていた従業員に「農屋」の屋号を譲って北の屋台を去ったが、それが健全な北の屋台の在り方であろう。そう云った意味では北の屋台の設立の趣旨を最も良く理解してくれていた方々である。後進に道を譲るのが北の屋台本来の趣旨なのであるから・・・。

妹尾さんは、アスパラガスとじゃがいもの季節には、いつも採れたてを自宅に届けてくれる。

お礼の電話を入れたら、最近はベトナムなどに進出して忙しくしているというから益々元気で活躍している様子だ。

北の屋台の関係者や出身者が元気で活躍してこそ、本当のまちづくりの意味があるというものである。