驚いたとともに呆れてしまった。
今年8月から北の屋台でクレジットカードの使用が出来るようになるというニュースであるが・・・。
やっぱり、現在の北の屋台の運営者である「北の起業広場協同組合」には設立の理念を理解している人間が居ないようである。
私が創った時のコンセプトのひとつは「不便さが生み出すコミュニケーション・便利さが殺すコミュニケーション」であった。
「便利」な世の中に対するアンチテーゼとしての「不便さ」を表現する装置が「屋台」であったのだ。
だから、北の屋台はわざと不便に造ったのである。例えば、狭く造ったのはトイレに立つ時に他の客をわざわざ立たせなければ通れない狭さにした。また、店舗の組み立て、収納の不便さと云う不便さも、ライバルである隣の屋台との助け合いの気持ちを作り出す為である。その他にも多々わざと不便に造ったところがあるのだ。不便さゆえにコミュニケーションを取らないと楽しい空間が維持できない仕組みにしてあるのだ。
便利にして、何でも一人(セルフ)で出来るようにすれば楽で良いが、そのかわりに他人とのコミュニケーションが不足する。
中心街の衰退の原因の第一は「郊外型の何でもかんでもセルフで出来る(希薄なコミュニケーション)様にして従業員の数を減らすことで効率化を図ると云う大企業のやり方と、同じ土俵で戦っても中小零細企業は勝てないということに早くに気が付かなかった」ということだと私は考えたのである。
だから中心街の零細企業は異なる土俵(濃厚なコミュニケーション)で勝負しよう」ということである。
濃厚なコミュニケーションは不便さゆえに生じるものだ。便利にしてしまえば自然とコミュニケーションは希薄にならざるを得ないのである。
北の屋台が2001年7月に誕生してから、これを真似た屋台村が全国各地に多数出来たが、余所はあまり上手く運営出来ていない。その第一の原因は、便利に作り変えてしまうからであると考えている。
屋台は世界的に見ても「商売の原点」であり、何百年もの歴史を持っている。大きさの意味、形の意味、運営の意味などと云うものが長年の先人達の智恵と経験で培われてきているのだ。その意味を研究し理解した上で現代風に改良するならそれもありだろうが、しかし、その意味を理解せずに、ただ便利にしてしまうと屋台本来の存在価値を無意味にしてしまう危険性がある。
本来、屋台は「日銭(現金)を稼ぐ」ことで成り立っている商売である。
金銭的にまだ余裕のない、商売の初心者が、毎日の小銭を現金で稼ぎ、その稼ぎの中から翌日の材料を仕入れることで商売が成り立っているのだ。
そこに、クレジットカードだって!???
クレジットカード会社の決済は月に一度である。
つまり、屋台の店主は1ヶ月後にならなければ現金を手にすることが出来ないということになる。
これは懐に余裕がある店主なら良いであろうが、商売を始めたばかりの運転資金に余裕がない店主に出来ることではないだろう。クレジットカードを導入することで日々の商売につまずきが生じる可能性がある。
これから北の屋台で開業する店主は、開業資金に加えて、1ヶ月分の運転資金の余裕を最初から持たなければならないことになるのだ。結局、その分だけ開業資金は上積みされる結果になる。
果たして、こんなことを「起業」を促す組合がやる必要があるのだろうか?はなはだ疑問に感じる。
それとも、北の屋台の店主は、儲かっているからクレジットカードの導入なんて屁でもないほど懐に余裕がある人ばかりなのか?
逆に、だとしたら、さっさと屋台を卒業して街中に開業したらどうなのだろうか?
クレジットカードを導入することで屋台店主側にはメリットは何も生じないだろう。この導入で一体誰が得をするというのだろうか?そんなものをあえて導入するなんて、まさか裏リベートなんてものはないだろうが、導入の意味が私にはまるで理解できない。
何だか、私が作ったコンセプトが破壊されていくようである。
あぁ〜北の屋台よ、お前はどこに行く!