組合解散の話題は帯広中を騒然とさせているようだ。
北の屋台を辞めてから既に6年半にもなるというのに、私のところに何人もの人から電話があったり、メディアからもインタヴューがある。
以前のブログにも書いたが、「まちづくり」事業で重要なことは「善」という概念である。
まちづくり事業に携わっている人達全員が「善」の概念を共有していなければ、その活動は破綻する。
ここで言う「善」とは法律上の良し悪しを言っているのではない。
組織を動かす概念(コンセプト)に照らして「善」なのか「悪」なのかという判断基準のことを言っているのだ。
まちづくりのリーダーに求められる資質の第一は「善悪の明確な判断基準を持つ」ということだ。
今、やっていることが果たしてコンセプトに照らして「善い」ことなのか「悪い」ことなのかの判断基準を、あいまいなまま事業を進めてしまえば、他のメンバーは誇りを持って事業の推進が出来なくなってしまうだろう。それがやがて空中分解につながるのである。
今回の北の屋台の組合解散の問題は正にここにあるだろう。
北の屋台のコンセプトはまちづくりである。
たかが飲食の手段に過ぎない屋台が何故にまちづくりになるのか?をもう一度原点に戻って考え直さなければならない。
原点は「シャッター通り化した中心街を活性化する手段として屋台を使おう」ということだ。
つまり、「屋台」という商売の始まりの業態で、これから起業を志す人に場所を提供し、そこで商売のノウハウを覚え、顧客を獲得し、開業資金を貯めたら、屋台を卒業して、町中のシャッターの閉まった店に独立開業してもらい、シャッターを開けてもらう。空いた屋台にはまた新たな志を持った人に入ってもらう。これを繰り返す。」これがまちづくりにつながるという考え方だ。
このコンセプトを外れてしまえば、すなわちそれは「悪」になる。その「悪」を取り繕う為に、更にコンセプトを崩してしまえば、誇りも失なってしまう。いわゆる悪循環というものになってしまうのだ。
こうなると何の為に事業をやっているかの目的も別な方向に行ってしまうことになる。
こうならないように、コンセプトの確認作業は常にしていなければならないのだ。
「販売促進費」の不透明な使途も、会計上は問題無しという判断が、北の屋台のコンセプト上や契約上でも果たして「善」といえるのかを、自らの心に問うてもらいたい。