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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-01-21-Tuesday 氷まつりの歴史

帯広氷まつりの歴史に

ついて教えて欲しいと、先日の氷まつり会場で言われた。

私は昭和33(1958)年に帯広市街の中心地で生まれ育ったから、昭和39(1964)年に始まった氷まつりも第1回から見ているだろうと云うことなのである。

当時は父が観光協会の副会長をしていた時期でもあるし、おそらく氷まつりの会場には連れて行かれているのかもしれないが・・・。

記憶は先日書いた、帯広小学校の正門のところに、家の北海道民芸品店から持って来た熊の木彫りを見本にして熊の雪像を作ったことを覚えている程度であるが、年代はハッキリしない。

ネットで検索しても、ここ2〜3年のことしか出てこない。そこで、十勝大百科事典という資料を調べてみたが、これには「まつり」のことは一行も書かれていないし、そもそも「氷まつり」という文字すら出てこない。

そこで、十勝毎日新聞社が以前に発行していた「十勝年鑑」で調べようと思ったがこれは昭和45年からの分しか残っていなかった。

どうやら「氷まつり」のことについて調べたり、記録を残していたりという人は居なかったようなのである。

今度は「十勝毎日新聞七十年史」を調べてみたら巻末の年表に、

昭和39(1964)年2月8日 第1回氷まつり、本社主催 会場:帯広小学校校庭と書いてあったのを見つけた。

一番最初は帯広小学校の校庭、現在の中央公園の場所で、十勝毎日新聞社主催で開催されたのであろうと思われる。

翌昭和40(1965)年の第2回は2月6・7日、同じく勝毎主催で帯広小学校の校庭で2日間開催と記録が残っていた。

ここから推測すると第1回も2日間の開催であったようである。

昭和39年というと私が帯広小学校に入学した年であるから、おそらく見ているのであろうと思われるが残念ながら記憶は無い。

勝毎の七十年史には何故だか第3回(昭和41年)の記録が載っていないが、1月30日に旧裁判所跡地(現在の旧ヨーカドービル)で勝毎主催の「全犬種雪中展」という催しを行なっている。この時期に単独でこんな事業はやらないだろうから氷まつりを盛り上げる為の催しではないかと思う。

翌42(1967)年1月28日にはこの旧裁判所跡地で第4回氷まつりを開催しているという記録がらあるから、おそらく、昭和41(1966)年はこの「全犬種雪中展」の前後に裁判所跡地で第3回の氷まつりが開催されたのではないかと推測される。

昭和43年の1月25〜29日の4日間は緑ヶ丘公園のリンクで「第23回冬季国体」が常陸宮ご夫妻を迎えて開催されている。

私は帯広小学校の陸リンクで常陸宮ご夫妻が帯広小学校のスケートの授業を視察された催しに参加した記憶が残っているが、これが1月26日のことであった。

この冬季国体と開催日が重なる1月27・28日に緑ヶ丘リンク周辺を会場にして第5回氷まつりが開催されたとの記録があるから、国体を盛り上げる為に緑ヶ丘リンク周辺に会場を移したのではないだろうか?

それ以来、会場は緑ヶ丘公園になったのではないかと思われる。

第6回以降は七十年史にも記録が残っていない。

「氷まつり」に関して調査して記録を残しておく必要があるだろうと思う。