昭和32年の酉年生まれと、昭和33年の戌年生まれの「十勝酉戌会(とかちゆうじゅかい)」の第15回の総会が開催された。
42歳の男の後厄から始まった会であるが、女性も加わって会員数は130名ほども居るという。
この日は40名ほどの男女が参加した。
十勝管内の色々な高校の出身者が居るし、転勤やら結婚して十勝に来た人などもいるから、同窓会とはまた雰囲気が違っていて面白い。
19時から始まった一次会は21時に終了し、二次会はすぐ近くの生バンド演奏のある「歌夢音(かむおん)」と云う店に行った。
私はいつもは一次会で帰るのだが、皆にとってはお馴染みのコースなのだと云う。
エレキギターの生演奏で、若かりし頃に流行ったディスコを思い出して踊るのだそうだ。
私の父は社交ダンスが大好きで、それが高じて昭和27年に「坂本ダンス会館」を造ったほどである。この「坂本ダンス会館」は渡辺淳一の小説「冬の花火」にも登場するほど人気があった。
まぁ、当時の娯楽が少なかったということもあるのだろうが・・・。
現代で云うところの「婚活」の中心地であったようで、年配のご夫婦からよく「私たち夫婦は坂本ダンスホールで知り合って結婚したのよ」と未だに言われるほどである。
ところが、私は「社交ダンス」は軟弱な男がするものだと決めつけて居て父が教えてやると言うのを拒否するほどであったから、いまだに全く踊る事は出来ない。ダンスと云えばチークダンス専門なのである。
だから、若い頃もディスコと云う場所には行ったことがなかった。唯一大学生の頃に帯広に帰省した時に、友人に連れられて宮本ビルのコンパとか云う店に2〜3回は入ったことがあったが、踊ることは出来なかったのである。
この「歌夢音」では皆が中央で踊り始めた。私は寂しく眺めているだけであった。私には踊りが好きな父のDNAを受け継いでいないのかもしれない。これは大沢某みたいにDNA検査をしてみる必要があるかも・・・。
23時には出て、その後、三次会にまで皆が行くと云う。
古いレコードを掛けるバーである。そこで昔話に花が咲いたが、0時15分になって急に眠たくなってしまった。どうもこのところは0時を過ぎると途端に眠くなるシンデレラボーイなのである。久し振りに午前様で帰宅したのだった。