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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-03-01-Saturday 平原通商店街

28日帯広市内の

日航ノースランドホテルで平原通商店街振興組合の50周年記念祝賀会が17時から開催され出席してきた。

当日、記念品として配布された年表によると、

昭和2(1927)年に「駅前通り商店街(会長:小泉碧、(北海道ホテル)」として西2条南8〜11丁目駅前までを範囲として発足している。(北海道ホテルは北海館と表記すべき)

その後昭和8(1933)年1月に「銀座通り商店会(会長:古沢恭一、(露月菓子店)」に改称し、駅前から1丁目(11丁目)、2丁目(10丁目)、3丁目(9丁目)、4丁目(8丁目)と北に向かって丁目を下げていくことになった。(恭一は泰一の間違い)

昭和23(1948)年4月からは「帯広銀座通商店街(会長:寺西鍍一、大丸薬局)」に改称。(鍍一は鑛一の間違い)

昭和41(1966)年に「帯広平原通商店街振興組合(会長:寺西鑛一、大丸薬局)になった。

と式典で配布された記念誌に年表が載っていた。

昨日の式典時には気が付かなかったが、50周年記念誌に載っていたこの年表が正しいのなら、まだ「48年」しか経っていないのでは・・・。

名称が「平原通商店街」になる前から、商店街があったのだから、まぁ固いことは言わないようにしよう・・・。

と思って見ていたら、最初のページの夷石理事長の挨拶文には「昭和39年3月1日「平原通商店会」として歩みを始めてから・・・」と載っている。昭和39年なら西暦1964年であるから、これなら50年で正しいことになるが、年表には昭和39年2月に商店街新名称の公募と記載があり、3月に記念大売り出しの記載があるのだが・・・。「平原通商店会」として云々という記載がこの昭和39年に無い。

50周年記念誌なのだから、この昭和39年に「平原通商店会」が一般公募で名称を決めたという項目が必要だろうと思う。

ついでに書くなら昭和39年3月22日の記述に「坂本ビル」という表現がある。これは正しくは「坂本会館」である。どうも、年表の書き方が適切ではないようだ。現在の名称で書くようにしたのだろうが、やはりここは当時の名称で表記して( )書きで現在の名称で表わすべきだろう。

説明不足で誤解を与え易い記述である。いったい誰が校正したのかと思ったら何と記念誌の委員に妻の名前があった。それなら事前に私に確認すれば良かったのに・・・と妻に言ったら「会合にも一度も顔を出さないくせに・・・」と言う。確かにその通りだから・・・。

式典は全体で67名ほどの出席者数であったが、もう少し平原通商店街の会員の出席があっても良いように感じた。お客さんの方が多かったのではないかと思ったほどである。

やはり会員がもっと大勢出席して、この商店会を盛り上げていく必要があるだろうと感じた。