この日に合わせて、総務省が発表した日本の65歳以上の高齢者の人数は3296万人で、去年よりも111万人も増加したという。
総人口に占める割合も25.9%で4人に一人が高齢者ということになる。
75歳以上でみると8人に一人という割合だそうだ。
「敬老」とは「老人を敬(うやま)う」ということだが、4人に一人が老人では、周りは敬う人ばかりということになってしまうが・・・。
昔の、と言っても、ついこの前、ほんの30年ほど前までは「人生50年」と言っていた時代である。
男性は50歳で定年を迎えて、その後10年位の余生を送ってから死ぬのが普通であった。還暦を迎える人も稀であったから長寿を祝ったのである。還暦を迎えるのはもはや当たり前の時代になった。
日本人はただ長寿になった訳ではない。年寄りの見た目も大きく変わった。漫画「さざえさん」のお父さんの波平さんは現役で会社務めをしているから、まだ50歳前という設定であるはずだ。
一昔前の50歳は皆があんな感じであったように思う。
現代では波平さんの見た目は70歳以上に見えてしまうのではないか。
まぁ現代でも髪の毛の量と云うのは見た目に大きく影響はするが・・・。
老人がこのペースで増え続けると、日本の未来はいったいどうなっていくのだろうか?
少子化で若者の数は減少を続けているから、若者の金銭的、体力的、精神的な負担は大きいものがあるだろう。
私はとても気の毒に感じてしまう。
自分の未来が年寄りの世話などの負担で思うように出来ないとすれば、将来に対しての希望が持てなくなってしまう。最近の若者のやる気のなさはこういった空気を敏感に感じているからではないのだろうか?
来年には80歳以上の高齢者数が1000万人を突破すると云う。
健康で他人の世話にならなくても生きていけるなら何も言うまい。しかし、他人の世話にならなければ生きていけないような植物状態になっている人に機械や管を付けて、延命治療をしながら生かし続けていることに、果たして本当に意味があるのであろうか?
「生命(いのち)とは何ぞや」
私は自分の生命に尊厳を持ちたいと思っている。
事故や病気になって一時的に治療の為に機械や管に繋がれても回復してまた自分で生きていけるなら、治療にも意味がある。
しかし、回復する見込みがないのに、ただ生命を長らえさせるだけの治療は止めるべきであろう。
早く国会で法律を改正してもらいたいと願っている。