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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-10-16-Thursday お墓事情

少子化の日本では・・・、

子供の数が減っている日本では、家を継ぐ者も減ることになる。

一人っ子同士が結婚したら、どちらかの親の家の姓は消滅してしまうことになる。女系家族の場合も似た様な状況にある。

私の母の実家の上野家は留萌市にあったが、母は三人姉妹の長女である。家業の大丸洋装店は次女が継いだが、三姉妹とも婿を取らずに、他家に嫁いだ為に上野の姓は消滅した。

母も次女も80歳を超えているが、一昨年、留萌で他家に嫁いでいた三姉妹の三女が亡くなったことで、自分達の両親の骨をどうするか相談を始めたのである。

次女の子供も、三女の子供も留萌には居ない。

色々と考えて、坂本家の菩提寺にも相談したが、上野家の宗派と坂本家の宗派が異なるので難しい。

そんな折に、新聞の広告で宗派に関係なく菩提を弔うというお寺が幕別の糠内にあることを知った。

昨年、母を見学に連れて行ったのだが、帯広市内からはかなり遠い。母と叔母(次女)は随分と相談していたようだが、叔母の娘が帯広に嫁いでいることもあって、ここに両親の骨を移すことを決めたのだった。

留萌の人口は全盛時の4万5千人から半分の2万2千人程度に減っているから、お寺も運営が厳しいらしい。檀家が減ることにはかなりの抵抗があったようであるが、それでも何とか檀家を辞めて十勝に骨を移すことを承諾してくれた云う。

16日の16時に糠内のお寺に来て欲しいと言われたというので、私が道案内をして母と叔母夫婦と従兄弟を車に乗せて連れて行ったのであった。

合同葬と云う形であるから、他人の骨と混ぜて納めることになる。

だから一旦納めてしまえば、後から骨を取り出したいと言っても無理な訳だ。その辺りを詳しく説明し契約書に判を押す。

納める時にお金を払えば、その後の会費や維持費などは一切掛からないと言う。

納骨する人は十勝だけでなく、九州などからも居るし、アメリカやブラジルなどの外国からも居るという。

お墓もついにこういう時代になってきたのだなぁ〜。

お参りも、自分の家の墓のように、勝手に来て、勝手にお参りしても良いと言うが、花はそのまま花瓶に差し放しで構わないが、お菓子や果物などは必ず持って帰るようにと言う。

そのことを聞いていなかったので、妻に藤丸の地下で豪勢な果物籠を造ってもらって持参していた。

合同墓地に骨を納めて、住職にお経をあげてもらったが、その際にも「この花はそのままで良くて、この果物は持って帰れば良いんですね」と住職に確認したら「そうです。果物は持って帰って下さい」とキッパリと言われたのであった。

納骨、読経が終わり、雑談で「この近くにS家と言う家がありませんか?私はそこの三男と高校の同級生なんですが、去年、東京で会った際にここのお寺の話をしたら、住職とは友達だと言っていましたが・・・」と話したら、急に「貴方がT・S君と同級生と云うことは私とも同じ年と云うことですね」となり親しげになったのであった。

その内にこの住職が「この果物はとても美味しそうですね」と言う。母が「よろしければ置いていきますが・・・」と言ったら「そうですか!それは有り難い!」と言うではないか。

アレッ、さっきまでは持って帰れと言っていたのに、読経している内にこの果物がかなり良いものであることを見抜いたな、さてはなかなか目利きであるワイ。と笑いをこらえながら居たのであった。

帰りの車の中でも、この話題で盛り上がった。

帰ってから、この果物を買って来た妻にこのことを話したら「そりゃ〜そうでしょ、だってあの果物は、かなりこだわって品質も良いものばかりを選んだんだから、その住職さんは外から見ただけで見分けたんだね。すごい目利きじゃないの」としきりに感心していたのであった。