今年務めているが、その仕事のひとつに葬儀への出席というものがある。
出席しなければならない葬儀は、OB会員本人の死亡はもちろんだが、OB会員の親族の死亡も含まれる、具体的に云うと会員の親や妻や子などの葬儀への出席も含まれるということだ。
今年は、OB会員本人の死亡というのは少ない。8月のお盆に一人、そして先日一人の計2人しか亡くなっていない。
去年は10名ほどが亡くなっているから格段に減っているのだ。
先日亡くなられたのは、白木弘遵先輩である。
昭和3年生まれであるから、私の父の1年後輩になる。白木さんは大谷高校で教師をしていた時期があったというが、父も一時期大谷高校で教鞭を取った時期があるから、ひょっとすると二人は同僚であったかもしれない。
お寺の3代目の住職と大谷短期大学の教授という二足の草鞋を履いていた。父である2代目住職が、息子が大学教授になって住職を継がなくなっては困るからと、サッサと引退した為に、若くして住職に就任したと言う。
去年、その在任50年を祝って息子さんに住職を譲ったが、息子さんの幸久さんもJCマンである。
今年1月のOB会の新年総会で、大正15年生まれの会員の方に米寿のお祝いを差し上げたのだが、幸久さんから「米寿の方々へのお祝いが1年ズレている。今年は昭和2年生まれの方々の米寿のお祝いのはずだ」と言うのである。その指摘を受けて訂正したのであった。そうか!私の父も生きていれば米寿であったか!と思ったのであった。
後日、幸久さんから「実は来年の父の誕生日に米寿の祝いをやろうと企画していたんだ。OB会のお祝いが、このまま誤ったままでいくと来年のお祝いができなくなるからね」と言われたのであった。
今回のご逝去でその願いは叶わないことになってしまったが・・・。
弘遵さんはまちづくりにも多大な貢献をされた方であるし、道新の「朝の食卓」などにも文章を書いていた先輩でもある。また一人惜しい方を亡くした。合掌