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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-11-03-Monday 尊厳死

尊厳死を認めているアメリカの

オレゴン州で、脳腫瘍の為に余命わずかと宣告された29歳の女性が1日に尊厳死すると予告していて話題になっていたが、その通りに1日に死んだというニュースが流れた。

日本でも随分と話題になったが、それはとりもなおさず、これからの老齢化社会に対して、多くの日本人が問題意識を持っているからに他ならないだろう。

「死」というものは、この世に生を受けた全ての生物に訪れる宿命である。天寿を全うして老衰で死ぬ人もいれば、事故や事件に巻き込まれて若くして死ぬ人もいる。「死に方」はともかくとして「死」に関しては遅いか早いかだけのことである。

今回の議論は、この「死に方」と「死」を混ぜこぜにした議論のように思える。

「死に方」に関しては、今回の尊厳死を「自殺」と捉える人も多くいるようだし、医師による「自殺ほう助」ではないかという人もいる。

たしかに、医師が処方した薬を自ら服用して死ぬのだから自殺と言えなくもない。

今回はまだ29歳と若い女性であったことが話題になった理由のひとつであろう。意識もまだしっかりしている状態で、いわば服毒自殺みたいな方法で死ぬのだから・・・。

もしも、尊厳死希望者が医者から処方された薬を飲まずに所持していて、その薬を誰かが犯罪に悪用するなんて云う事態は、あらかじめ想定されているのだろうか?

私は「尊厳死」を認めるべきだと考えているが、日本で尊厳死を認めるようなことになっても、今回の方法は是にはならないだろう。

医師が投薬して、その場で死を確認するべきであると考える。

私が考えていた「尊厳死」は、70歳以上の老人を想定していた。

たとえば私が70歳過ぎの老人になって、もしも末期癌が発見されて、手術しても快癒する見込みがなく、逆に手術することで体力を奪うようなことになるなら手術はしないだろう。チューブに繋がれた機械に生かされるような延命治療は絶対にしたくない。

余命を告げてもらい、残された人生をいかに過ごすかという選択が欲しい。

末期癌はかなり痛いらしい。痛いのは相当につらいだろう。

やることを済ませて、「死」の覚悟を決めたら家族にみとられながら安らかに死にたいと思う。

家族に取っても、看病はしたという実績と、臨終に立ち会ったという実績が残れば、一応の満足は得られるだろう。

ダラダラと看病が長引けば、「死んで行く人間」が「これからも生きていかなければならない人間」に対して、精神的にも金銭的にも迷惑を掛けることになる。

人間はどうせいつかは「死」ぬのである。残る者たちに負担は掛けたくない。

私はそう考えている。

私も「自殺」はするべきではないと思う。

日本も早く「尊厳死」の法律を作って安心して老後を暮らせる社会にして欲しいものだ。