度々登場する札幌狸小路の「中川ライター店」が来年1月末で閉店するという記事が7日の北海道新聞朝刊に載っていた。
創業が明治35(1902)年というから113年の歴史がある店である。
この店には、今年春に64歳の若さで亡くなった8歳上の従兄弟の晴則によく連れて行ってもらった。
晴則は、私にマジックを始めるキッカケを作ってくれた従兄弟である。彼は4人兄弟姉妹の末っ子であったから、私を弟のように思って可愛がってくれたのだろう。
私は小学2年生の時から、たった一人で汽車に乗って、札幌の伯父の家に春・夏・冬の休み毎に遊びに行っていた。当時は伯父の店舗兼住宅が札幌のど真ん中である南2条西3丁目の角にあったから、遊びに行くには最適の場所だったのだ。
晴則たち兄弟も、小さい頃は逆に帯広の我が家に遊びに来ていたのだった。
晴則は多趣味な男で、モデルガンやプラモデル、そしてマジックなどをやっていた。私はその影響を受けて、札幌に遊びに行くと、モデルガンをもらったり、マジックの道具などももらっていたのである。
そんな晴則がよく通っていた店が、近くの狸小路にある「中川ライター店」であった。
この店の入り口は木製の薄い黄緑色のスイングドアで、通りから見ると、タバコやライターや、モデルガンやプラモデルなどが雑然と、そして所狭しと並んでいる店であった。そしてマジック用品も扱っていたのである。
伯父からもらったおこずかいを握りしめて、すぐにこの店に買いに行ったものだった。
未だに、札幌に行って狸小路を通ると、懐かしくなって、買いもしないのに、ついついこの店に入って商品を眺めていたものだった。
その懐かしい店が閉店すると云う。後継者である次男が昨年50歳という若さで急逝したのがキッカケらしい。
またひとつ名物店が減ってしまう。狸小路の店も昔とは随分と様変わりしてしまった。
時代の流れと共に商売というものはドンドンと変化するから、ノスタルジーだけでは商売にならないのだろう。しかし何だか自分の子供の頃の思い出が減ってしまうようでとても寂しい気がした記事であった。