という連絡が入った。16日の22時50分のことだという。
正月からインフルエンザに罹り入院していたというが、そのインフルエンザから肺炎を起こしたのだそうだ。
こうなるとインフルエンザも重い風邪というよりは、生命の危険がある怖い病気である。
昭和9年の生まれであるから80歳だ。東京生まれで防衛大学の第一期の卒業生である。帯広の自衛隊第5師団(当時)に配属になり、以来、帯広で暮らすようになった。自衛隊を退官後に帯広市議会議員、その後北海道議会議員になり自民党の重鎮として活躍した。道議引退後は長男の秀(まさる)さんが後継で道議になった。
家庭では寡黙な方で、いつも最小限のことしか話さないから会話が弾んだということはなかったが、奥様が話されている横でいつも微笑んでおられた印象が深い。
引退後に目を悪くされたり、軽くあたったりされたが、さすが防衛大卒の元自衛官だけあって、リハビリに励まれ、家の近所をスタスタと歩いておられる姿を何度か見かけた。最近は耳も悪くなっていたというがお元気そうだったので突然の訃報に驚いている。
小野寺家はカトリックなので葬儀も教会で行なうという。弟が結婚後に祖母(勇さんの奥様の母)の葬儀がやはりカトリックの教会で行なわれたのがカトリックの葬儀に出席した初めてのことであった。
神式の葬儀は十勝毎日新聞社の林家の葬儀で2回経験したが、カトリックの葬儀はそれ以来出席したことがない。
仏式の葬儀は宗派に依って多少の違いはあるが、それほど大きな差ではないのだが・・・、カトリックの葬儀作法が分からないから一応ネットで作法を確認しておいた。
小野寺勇さんと同年生まれで、小野寺さんとも仲の良かった川上哲平さんが同日に亡くなった。哲平さんとは、去年、ゴルフのコンペでご一緒もしたし、そのゴルフでは50回目のエイジシュート(年齢以下のスコアで回ること)を達成され、この分なら生涯に100回はエイジシュートを達成しそうですねと言っていたのに、12月の宴会にも出席されてお元気そうだったから、こちらも突然の訃報に驚いている。
お二人のご冥福をお祈りする。合掌。