「ほとんど本を読まないじゃぁないでしょ! 本を読む暇がないの!」と。「寝る前に読む時間くらいあるだろう?」と言うと「アナタみたいに暇じゃぁないの!昼間の仕事で疲れてベッドに入ったらバタンキューなのっ!」と・・・。
「それから、私のことをブログに書くときはアップする前に検閲するからね!ちゃんと見せなさいよ!・・・」
これ以上の会話を続けると、逆襲されるので、後は沈黙。
我が家には特高が居て文書検閲があるようだ。
今日一日で3冊の本を読んだ。昨日のブログに書いた加治将一の「舞い降りた天皇(すめろぎ)」(上)(下)と「失われたミカドの秘紋」の3冊である。
先の2冊は古代日本の初代天皇の正体を考察する小説である。「魏志倭人伝」の行程の解釈の仕方には「ほ〜う、なるほどねぇ〜」と感心したし、全体的には面白かったのだが、結論への導き方はやや強引なように感じた。まぁ、学術書ではなく小説という体裁をとっているから、どんな突飛な事を書いてもOKなのだろうが・・・。
ただ、「怨霊の祟り」に対する考え方には賛成だ。日本人の歴史学者は「怨霊の祟り」をバカバカしいと軽視して考えているようだが、昔の人間は、疫病の原因がウィルスのせいだなんてことは分からないのだから、「怨霊の祟り」であると心底信じていただろうことは確実である。
何故に「怨霊が祟る」のかと云えば、それは陰謀に依って殺した罪なき人間に対する恐怖心以外の何物でもない。
飛鳥時代からは、豪族以外にも、皇族も、果ては天皇までもが暗殺された形跡がある。
冤罪で殺した人間の祟りが怖くて都を捨てたことだってあるだろう。それほどの恐怖心があったということだ。
「祟りが怖い」ということは、自分が悪い事をしたという自覚があるからであって、悪い事をしていなければ怖がる必要もないはずだ。
藤原氏が何を考えて、何を行なってきたのか、特に藤原不比等がキーマンであることは同感であるが、
しかし、結論はかなり私の考えとは異なっていたのであった。
後の一冊は、ちょっと結論が強引過ぎるのではないかと思う。
昔から「日ユ同祖論」(日本人の先祖は古代ユダヤ人という説)があるのは知っているが、私はこの説には大きな誤りがあると思っている。
それは宗教の問題だ。
一神教で、唯一神ヤハウェとの契約を絶対視するユダヤ人が、多神教で何でもありの宗教観の日本人と同根のはずは絶対にアリエナイ。