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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-02-24-Tuesday 文学周遊

昨日のブログに書いた日経新聞の

コピーが自宅に届いていた。

帯広の新聞販売店の営業主任の方が、わざわざ届けてくれて新聞受けに入れておいてくれたようである。ありがたいことだ。

「文学周遊」と云う題名である。ネットで調べてみたら、日本経済新聞の土曜日の夕刊に2006年1月21日から連載している特集物である。

説明文には「日本の文学史を飾る散文作品や小説の舞台となった土地を訪ね、作家やその投影である主人公の心象風景に迫ってみました。」とあった。

先週2月21日(土)の内容が『渡辺淳一の「冬の花火」北海道・帯広市』ということで450回とある。

「冬の花火」は1992〜93年「短歌」に連載された小説で、帯広出身で、1954年に歌集「乳房喪失」を残してわずか31歳で亡くなった歌人中城ふみ子の一生を描いた作品だ。

中城ふみ子の歌集「乳房喪失」は、ふみ子の生前に病室を訪れて取材した時事新報記者・若月彰によって、1955年に評伝『乳房よ永遠なれ』が書かれ、10万部が売れるベストセラーになった。

同年中には、この評伝を原作とする映画『乳房よ永遠なれ』(日活、田中絹代監督、月丘夢路、葉山良二主演)が制作され、公開されたから結構知っている人も多いだろう。

紙面には、毎年1月末に開催される、帯広市の氷まつりの会場で打ち上げた花火であろうと思われる写真が大きく掲載されており、帯広市内中心部の地図には坂本ビルの場所がハッキリと示されていた。編集委員が帯広を訪ねた時の取材内容を1000字程の短いレポートで紹介している。

その短い文章の中に『広小路のすぐ近くにあるのが坂本ビル。ここにあったダンスホールに、ふみ子は7歳年下の恋人と踊るため華やかなドレスに身を包み出かけていった。最初の恋人に誘われて行った・・・』と我が社のことが70字ほども紹介されていたのだった。

以前のブログにも書いたが、父がダンスホールを開業したのは1950(昭和25)年のことである。当時の娯楽と云えば他には映画くらいしかなかった時代である。当時の帯広の若者に熱狂的に受け入れられたようで、未だに、街で見知らぬ老夫婦から「あなた坂本さんでしょ?私達夫婦はお宅のダンスホールで知りあって結婚したのよ・・・」と声を掛けられるほどなのだ。男女が知りあう唯一の社交場だったことが窺われる。

歌人中城ふみ子の実家が営んでいた広小路にあった呉服屋さんが、ダンスホールとは100mほどしか離れていなかったから、毎日の様に足繁く通っていたという。ダンスホールの若いダンス教師に好意を寄せていたという話は父からも聞いていた。

この「文学周遊」が掲載されている日本経済新聞の夕刊は、残念ながら北海道では発刊されていないとのことなので、せっかくの内容が北海道の人に伝わらないのはモッタイナイなかったなぁ〜。