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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-04-23-Thursday 価値観の相違

人間の価値観とは何ぞや?

私は小学6年生になる時の春休みの11歳の時に、札幌在住の8歳年上の従兄弟にもらった手品の道具「シカゴの四つ玉」によって「マジック」に目覚めてしまった。

以来、私の人生はこれまで46年間ズ〜ッとマジック中心で動いて来た。

中学、高校時代は独学でマジックを研究していた。帯広にはマジックを指導してくれる人が居なかったからだ。

日本の中心、東京のマジックを知りたいが為に大学に行ったようなものだ。決して勉強の為に行った訳ではない。

だから、上京して大学に入学する前に、縁あったプロマジシャンのジミー忍(初代:引田天功の弟弟子)師に入門し、大学卒業後はプロマジシャンになるつもりでいたのだ。

大学生時代は、1日8時間はマジックの練習をしていたし、寝ても覚めてもマジック一色の生活であった。

プロマジシャンになる夢は、構想から2年の歳月を掛けて万全の態勢で準備をして臨んだ大学3年生の時の駒澤大学マジッククラブ(駒澤大学手品奇術研究会)の発表会で、後輩の考えられないドジによる予期しない大失敗によって潰えてしまった(現在でも時々、この時の発表会の模様が夢に出て来てウナサレルが・・・)。

発表会での大失敗で自信喪失に陥っていたところに、父親に「バカ野郎!」と怒鳴られてプロになっても生活出来ないだろうとマイナス思考で思い込み、夢を断念してしまった。

しかし、「人生は一度しかない」のだから、何故にあの時に挑戦しなかったのかと云う、自分への後悔の念を未だに引きずっている。

派手な芸能界に身を置こうと思っていたのに、大学を卒業して直ぐに父親の会社に入社して、帯広に引っ込んだ、落ちぶれたという意識があった。

帯広って何てつまらない町なんだという意識である。

それが、いつ頃からか、つまらない町なら自分で面白い町にしてやろうとポジティブに思うようになった。

「まちづくり」に興味を抱いて、一生懸命に勉強し、活動した。「十勝環境ラボラトリー」・「北の屋台」・「大道芸」等など、それなりに、その分野では成功を収めたと思っている。

しかし、私の心は晴れない。

どうも、途中で横道に逸れてしまったのではないかという感じがどうしても拭い切れないのだ。

やっぱり、私には「マジック」が一番なのである。

現在、造っている最中の「マジックミュージアム(博物館)」の展示作業をしている時が、一番充実している時なのだ。

「マジック博物館」と云うものは現在の日本にはまだ存在していない。

つまり、日本で一番最初の「マジック博物館」を造りたいと考えてウキウキしているのだ。

しかし、妻はマジックにはまったく興味が無い。

先日、私が作業している所に、珍しく来て、博物館を久し振りに見たら、「ヘェ〜、随分と作業が進んだのね、でも、いくらお金を掛けたの?」と聞くので正直に金額を答えたら・・・。

妻がたった一言「ハァ〜〜〜!?」と・・・、ただ単に呆れてモノが言えないという風情である。

その後は「バッカじゃないの」と事あるごとに私を非難する。

私にとって「マジック」は、妻との付き合いの30年よりも16年も長い、46年間も付き合っている、もはや趣味を超えた存在なのである。

価値観の相違は、恐らく永遠に埋まらないであろうが、マジック博物館は師匠(ジミー忍)との約束でもあるし、私も何としても生きている内に実現したいのだ。

妻に理解してくれとは言わないが、文句を言わずに自由にやらせて欲しいと願っている。