見ていると、面白いことが分かってきた。
この番組に出る人の、全員が収集家と云う訳ではないということだ。
中には、先祖から引き継いだとか、遺品を整理していたら出てきたとか、借金のカタにもらった(預かったが相手が行方知れずになったので自分のモノになった)とかと云う、欲しかったのでもなく、また自分の意志で収集したのでもなく、偶然に手に入れたものの、その価値が分からないから、この番組で鑑定してもらうという類の人が結構な人数存在しているのである。
私は、自分自身が生まれついてのコレクターだと思っているので、最近まで、こういった方々の存在を認識できなかった。
この世の中はすべて収集家、コレクターと言われる人たちばかりだと思っていたのだ。
コレクターとは自分の意志で欲しいモノを手に入れていく人達である。
だが、このコレクターにも、いくつかの種類があるということが最近分かってきた。
大雑把に分けて、自分が収集したモノを他人に見せたい人と、他人には見せずに自分だけで楽しむと云う人である。
私は、ほとんど後者であった。自分だけで楽しむ方の人間であったのだ。他人に見せるのは、傷が付いたり、壊れたり、盗難の危険があるから嫌だったのだ。
実際に、私の貴重な十勝関係の本を、十勝環境ラボラトリーの事務所の本棚に貸して飾っておいたら、数冊が盗難にあってしまったのである。持ち出し禁止と書いてあったのに・・・。
この番組に出演するコレクターの中には、自分が集めたモノの博物館を造りたいという人が何人か出てきた。
他人に見せるには管理も十分にしなければならないから、私の様なコレクターにとっては手間が増えるだけでとても面倒臭いのである。
だから、自分の家に飾って(仕舞って)おいて他人には披露しないことにしたのだった。
もうひとつ理由がある。
自宅や倉庫などに仕舞っておけば経費はさほどでもないが、一般公開するようになると経費が膨大に掛かるのである。展示するスペースも必要になる。
だが、最大の障壁はコレクターの心理である。コレクターとしては不完全な収集状態が許せないのである。
例えば、本で1〜10巻までのシリーズ物があったとしよう。この内の1巻でも欠けていたら、何となく心が落ち着かないのだ。
どうしても10巻全てを揃えたくなるのである。
だから、コレクションに掛ける費用をケチりたくないのだ。つまり、展示などに費用を掛けるよりも、コレクションの充実の方を優先させたいのだ。
世の多くのコレクターの心理はこれだと思う。
マジックの世界を例に取ると、マジック道具や本などをコレクションしている人は、とにかくモノを集めることに費用の大半を掛ける。
道具や本などは、所得の少ない年齢が若い内は、古本屋巡りなどをして足で稼いで収集するが、年を取って収入も増えると、今度はお金にモノを言わせて集めるようになる。しかし、よっぽどの大金持ちでもなければコレクションの完全さの追求は難しい。
もともと造られた個数が少なかったり、マジックは一般的ではないから市場にあまり出てこないからだ。
それでも、コレクターは必死になって本や道具を集める。
マジック愛好家の家族には、マジックに無関心な人が多いというのも特徴のひとつである。
コレクターは完璧さを求めて、収集することばかりに集中して、自宅の押し入れや倉庫などにコレクションを貯めておく。
もしも、完璧に収集したとしても、コレクション購入に経費を掛け過ぎていて、展示場を造る費用までは捻出できないか、既に高齢になっていてその意欲がなくなる。
そのままコレクター本人が亡くなってしまったら、家族はその価値を知らないから、サッサと古道具屋などに処分をしてしまい、貴重なコレクションがバラバラになってしまうのだ。
マジック界は、これを何度も繰り返してきたのだ。
ジミー師は「マジック博物館」の建設が夢であった。マジックの文化を後世に伝えたいと云う夢である。
今回、私が「仮称:マジック博物館」を造っているのも、私の意志と云うよりは、師匠の故ジミー忍の遺志の方が大きいのである。
私としては、コレクションを完璧にする方にお金を掛けたいクチなのであるが・・・。
コレクションの充実に使おうと考えていたお金を博物館の整備に使うことになってしまったのであった。
でも、乗りかかった船である。
これが私に与えられた使命であると考えるようになってきた。
日本唯一である「マジック博物館」を完成させたいと願っている。