3日が通夜、4日が葬儀と決まったが・・・。
月曜日の2日は会社は普通通りに営業しているが、妻は実家を訪れてくる弔問客への対応があるから出社は出来ない。
私一人が出社して、社員に報告し、来社予定のある人へのスケジュール変更依頼やら、葬儀の手順、挨拶文などを考えたりもするが、どれも中途半端になってしまう。
義父の経歴を調べて文章を起こすことをPCに向かってやっている内に、肩がキューっと詰まるような感覚になった。腰もバンバンに張っている。
このまま、通夜や葬儀を迎えると、ぎっくり腰になってしまいそうな感じがしたので、馴染みのマッサージ師に頼んで揉んでもらうことにした。
マッサージ師は「坂本さん、こりゃ〜相当ヤバイ状態っすよ」と言って、通常の倍の時間を揉んでくれたので、かなり楽になったのであった。
僧侶から「亡くなってから通夜まで日が開くから、2日に(仮)通夜をしましょう」と言われた。
義父は大勢の人に見送られたいとの希望を持っていたから、葬儀までの時間があった方が、その希望を叶えるには良かったであろう。しかし、あまり間が開き過ぎるのもよくないらしい。「仮」ということはないけれども自宅で通夜をやることにしたのであった。
ちょうど葬儀委員長の上野さんも戻られているので出席を願って、昼間に作製した葬儀委員長の挨拶文の為の義父の経歴の説明をする。
お坊さんも一緒に聞いてくれて、家族からもこれまで分からなかったことなどが良く分かったと感心されたが・・・。
こう云うものは、家族よりも他人が作ったほうが客観的にみられるのかもしれないなぁ〜。
大勢の人に見送られたいとの希望であるが、はたしてどれくらいの数の弔問客がいるであろうか、香典返しの品物を何個用意するべきか?
これが難問であった。
義父は、最後まで現役の「税理士」の肩書のままで逝きたいと願っていた。「元税理士」という肩書では逝きたくなかったようである。
身体はガリガリに痩せてはいたが、頭は最後までしっかりとしていたから、尚更であったのだろう。
義父は現役の税理士ではあるが、自分の事務所は2年前に閉所していて、現在は顧問税理士となっている。
しかし、かつての顧問先は、今の事務所が引き継いでいる。
年齢は90歳を越えているから昔の税理士の仲間は、ほとんど鬼籍に入ってしまっているし、私の関係者も、私の親ではなく、妻の親であるから、これも数が読み難い。
3日の通夜の日に会場に入って、届いた供花の数を見て驚いた。会場の壁がすべて供花で埋まっている。
こりゃぁ〜最初に注文した数では到底足りないと判断して、すぐに追加の注文をしたが、この数がピッタリであった。
会場の選定も結果的には良い選択であった。
会場の公益社中央斎場は2階建で、1階と2階の会場があるが、2階の方が広い。
業者からは2階の会場を勧められたが、親類も来客も高齢者が多いであろうから、階段の上り下りが大変であろうと思われた。車椅子の弔問客用にはエレベータも1機設置されているが、1機だけでは数が足りないと思われたのだ。
少々狭く感じても、弔問客のことを考えたら1階の会場の方がベターであると思ったので1階を使用することにしたのである。
この判断は幸いしたのであった。