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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-11-04-Wednesday 義父の葬儀3

3日は義父の通夜の日である。

大勢の方に見送られたいという義父の願いは、日程的にはこれ以上ないというほどの日程になった。

義父は税理士だっただけに、自分の人生もキッチリと月末で締めて逝ったのであろう。

私の3人の子供達も、全員が本州で働いているが、2日の月曜日に出社して会社に報告し、休暇をもらって3日に帯広に来ることが出来た。しかも3日は文化の日で休日であるから、通夜にも出易いことになったのであった。

義父の遺体の湯灌は自宅では出来ないと言う。義父はこの年齢の人にしては身長が高かったから棺が大きくて、自宅の玄関と階段を上手く曲がれないというのだ。

遺体を担架に乗せて、霊柩車で斎場まで運ぶことになった。

私は霊柩車に同乗して14時前に自宅を出発し斎場へ向かったのだが・・・。

後から妻がお義母さんを連れて自分の車を運転して斎場に来ることになっていたが、私の携帯に「母が歩けなくなって自宅の階段を降りることが出来ない。男手がないから手伝いに戻って来て・・・」という電話が入る。

タクシーで自宅に戻り、男3人で車椅子に乗せた義母を何とか階段から降ろしたのだった。

この階段を車椅子に乗せたまま降ろす作業は、義父で何度もやってはいるのだが、痩せていた義父と義母では体重差はかなりのものであり、運んだ男性陣は皆、足腰に負担が掛かったようである。私も前日にマッサージを受けておいて良かったぁ。

斎場には既に幾人かの親類が来ていた。義父も義母も兄弟姉妹が多いから数度会っただけではなかなか顔と名前が一致しない。

湯灌は予定よりも30分遅れで始まった。

映画「おくりびと」でも出てきたが、この湯灌というのは、遺体を遺族に見せないようにしながら遺体を清めたり、白装束に着替えさせたりする。

この儀式は、ごく親しいものだけが出席するので、最後のお別れという意識が強くなるようだ。孫らは涙が止まらない様子であった。

棺の中に、生前着ていた背広、帽子、メガネなどを入れるが靴は入れられないと言う。焼く時にマズイらしい。

演芸の寄席の高座には靴は履いて出られない風習がある。落語家中心の場所だから足袋でなければならないのだ。マジシャンが燕尾服で出演しても足元は靴下のままなのだが、なんとなくフッとそのことが思い出されたのであった。

斎場の供花の並べる順番の指示をして欲しいとの要請で会場に入るが、供花の多さには驚いた。会場の四方がすべて供花で満たされている。

義父はとにかく面倒見の良い人であったから、多くの方々に感謝されているのだろう。多くの人に慕われながら逝ける義父のことを、遺族としても誇らしく感じる。

供花の順番を親類の方にも確認してもらうが、地域に依って上下の順番が違うということに気が付いた。公益社の人に、帯広での順番を教えてもらいそれに合わせることにした。

公益社の担当者が「思い出のVTRの映像をどの時点で流しましょうか?」と聞く。大抵は通夜の始まる直前に流すと言うが、せっかく古いアルバムから写真を選び出して作ってもらったVTRを通夜の直前に放映したのでは、人の出入りなどでゴタゴタしているであろうし、参列者もゆっくり見ることが出来ないであろう。

葬儀委員長の挨拶の前に放映する場合もあるというので、そちらを選んだが正解であった。なかなか良い内容のVTRであったと思う。

義母はツレアイを亡くして放心状態であったのか終始ボ〜とした状態であった。足腰も動かなくなって、ずっと車椅子のままであったから、やはり相当なショックであったのだろう。