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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-11-05-Thursday 義父の葬儀4

3日は通夜である。

会場の公益社中央斎場はとても大きな斎場で、1階と2階で同じ日に2〜3件の通夜や葬儀が重なることもあるが、3日と4日は西雪家の貸し切り状態であったから、いろいろな面で助かったのであった。

1階の会場にしたのは、足の悪い人が多いと言うのもあったのだが、斎場に付いているお風呂が1階にしかないというのも理由のひとつであったし、買い物などで外に出入りするのも1階の方がかなり楽であると考えたからだ。

公益社の人から、通夜の弔問客数などの報告を受けた際に、明日の葬儀での弔辞はどうしますか?という。

義父は現役の税理士でもあったので、義父が顧問税理士をしている税理士事務所長からは「支部長を・・・」と云うし、税理士会の支部長が弔辞を読むのが通例であると云うので、初めは別の方にお願いしようと考えていたのだが、妻は難色を示したが、せっかくの申し出を断わるのもと思い、お願いすることにしたのだが・・・。

通夜の後で、親類が控室に集まり夜食をつまみながら、義父の思い出話をするが、高齢者も多いから、遠方から来ている人は疲れたのだろう。明日の葬儀もあるから1時間ちょっとで、ホテルへと帰り始めた。後には酒の強い親類だけが残る。私もお酒は大好きであるが、施主としては飲み過ぎるわけにはいかない。11時前には、斎場に泊る人以外は会場を後にしたのであった。

斎場に泊ったのは、義弟夫婦、私と、私の子供らの若い親類ら8人。義母は自宅の階段を上り下りは出来そうになかったので、姉妹と一緒にホテルに泊ってもらうことにした。

若い連中は近くの温泉銭湯に行った。

24年ほど前の父の通夜の時は、ロウソクと線香の火を絶やさないように番をするのが大変であったが、この日に用意してくれたロウソクは7時間も持つと云うし、線香は細〜い蚊取り線香状の形をしていて9時間も持つと云うから0時に取り変えれば朝まで起きている必要はないので、とても楽になった。

若い連中も温泉銭湯から戻って来て寝始めたが、息子がお棺の前に座り込んでジィ〜ッと遺影を見つめている。可愛がってもらっていたから、感慨に耽っているのであろう。

私は睡眠導入剤を飲んで寝たのだが、1時には目が覚めてしまった。何度か寝ようとするが眠れない。目をつぶってはいるが、深い眠りには入れずじまいであった。5時にお風呂に入って体操をしたり、横になったりと落ち着かない状態であった。

7時半頃から親類が集まり出した。葬儀は10時からである。

会場の係の人と手順などの確認をしたが、弔辞を読んでもらう税理士会の支部長に連絡したい事項があるが、顔が分からないので教えて欲しいと言われたが、私は忙しかったので義父の事務所の所員の人にお願いしたのであったが・・・。

棺を会場に戻して葬儀の時間が迫ってきた。

会場の担当者から、弔辞は支部長さんが欠席なので代読になると云う報告を受けた。

ナニ〜ッ!代読〜だと!

義父は他人の事を決して悪く言うような人ではなかったが、私が知る限り、その義父がただ一人の例外としていたのが、かつての部下であったその男である。

私は、義父は最後の最後に、その男を許してあの世に旅立つために、あえて弔辞を読む機会を与えたのだと解釈することにしたのであるが・・・。

もはや、この時点で他の人に弔辞を依頼することなど出来はしない。

非礼な奴と云うのは・・・。

義父が怒っていたのもこう云う非礼なところだったのだろうなぁ〜。今日に至るも代読になった理由の説明すらないとは・・・。

葬儀も終わり火葬場に向かう。

火葬の時間は1時間50分程度だという。昼食の弁当を食べ終えて、ちょっと横になったら、爆睡してしまったのだった。

お骨の収納というのは、悲しさと可笑しさが複雑に絡み合う場面であることよ、上手く箸渡しが出来なかったりして・・・。

まだ温かい骨を入れた骨箱を持って斎場に戻るが、足の悪い人が多いから移動に時間が掛かる。

火葬場へ行くには霊柩車のリムジン車があるからまだよいが、帰りはバスである。このバスは車椅子対応になっていないから、昇降が大変であった。これからは、ますます老人が増えるから、葬式の移動も新しい対応が必要であろうなぁ〜。

斎場に戻り、30分ほど遅れで忌中引きの繰り上げ法要を行なう。

施主としての最後の挨拶と云う役目が待っている。

なんとか挨拶も終わり、斎場の担当者と収支などの最終確認を行ない無事に葬儀は終了した。

公益社と云う会社は、実にありがたい会社である。何から何まで、痒いところに手が届く対応であった。公益社がなければ、どうやって葬儀をやったらよいのか途方に暮れていたかもしれない。感謝である。

義父の家に、親族が集まる。遠方から来ている親族も、それぞれに帰っていく。葬儀とはそういうものであろうが、慌ただしく、忙しいから、悲しみを感じている暇がなかった。

きっと寂しさはこれから襲ってくるのだろうなぁ〜。