葬儀はすべて終えたと思ってホッとした途端に「明後日の6日が初七日です」と云われる。
エ〜ッ明後日!
そうか、31日の朝に亡くなったのだから初七日は6日になるのか。
葬儀までに日が開いた分、今度は初七日がすぐに来るのだなぁ。当たり前と云えば当たり前なのだが。
我が家の子供達3人+1人(長女の婚約者)は明日職場のある街に戻る。まずは、皆で一緒に食事をしようということになった。
何が食べたいか?と聞くとジンギスカンと云う。牛肉の焼肉よりもジンギスカンが食べたいと云うのだ。実に安上がりに出来ているなぁ〜。
ジンギスカン専門店に行って腹一杯食べろと言ったのだが、私も子供たちも食欲がない。葬儀の慌ただしかった疲れと、とても可愛がってもらった祖父が亡くなった喪失感で食欲が湧かないのだろう。
おかわりも無しに自宅に戻る。家にジッとしても寂しさが増すばかりであるから、温泉銭湯に行くことにした。銭湯でさっぱりしようということである。
汗をタップリと流して疲れも一緒に流そうと思ったのであるが、逆に、何だかとても疲労感が増してしまった。
スーパーマーケットで、お酒を買って自宅で飲むことにした。
妻はそうとう疲れたのだろう。舟を漕ぎ出したので早目に寝ることにしたのであった。
翌日は、11:20発の列車で新千歳空港に向かう予定になっている。
私が開設準備中の「マジックミュージアム」を見たいと云うので案内し、インデアンカレーを食べたいと云うので長崎屋のフードコートで食べさせて駅に送ったのであった。次女は4時の飛行機で東京に戻った。
これからは家族が全員集まるのは、冠婚葬祭が中心になるだろう。誰かが死に、誰かが結婚し、誰かが子供を産む。古(いにしえ)から、人間の営みはこうして連綿と続いてきたのだ。
生あるものは必ず死ぬのが定めである。
90歳過ぎまで、子や孫らに囲まれて自宅で過ごせたし、今回の自分の葬儀も、遺影から法名まで事前に自分で用意していたし、大勢の人に見送られたいと常日頃から言っていたから、ひょっとすると、亡くなる日の日程や温かく穏やかな天候まで演出したのかもしれないなぁ〜。
人間、棺桶に入る直前まで自分の人生の幸不幸は分からないとも言うが、義父の最後はおそらく幸せだったことと思う。
後は、「自分の骨は母親の骨の隣に入れて欲しい」という希望を叶えてあげるだけだ。
四十九日法要を12月の中旬に予定しているが、この時に、お墓に雪が積もらずに納骨できれば義父の希望をすべて叶えられるだろう。義父のことだから、きっと四十九日法要の日も温かく穏やかな天候になるであろう。