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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-12-11-Sunday 秋間美江子さん①

アメリカコロラド州ボルダー市から

秋間美江子さんが来日していると云う情報が入った。しかも、札幌に来ているらしい。

秋間さんと、初めて会ったのは、私が、帯広青年会議所(JC)の「国際環境大学構想プロジェクト」担当の副理事長を務めていた時の1995年にボルダー市にコロラド大学の視察団の団長として赴いた時である。

当時のJCは、帯広に公立の地球環境大学を設立しようと活動していたのである。

アメリカのコロラド州ボルダー市はコロラド大学を中心にした街づくりをしており、帯広市の「帯広の森」と似た様な「オープンスペース」で街をグルリと囲ったコンパクトな政策をしているから参考にしたいと10名ほどで視察に向かったのである。

その時に、ボルダー在住であった秋間浩・美江子夫妻にとてもお世話になり、この時の縁で、以後、複数回、互いの家を行き来するほど親しくさせてもらったのである。

数年前に、秋間美江子さんが、我が家を訪れた際に、初めて身の上話しを聞かせてくれた。

美江子さんの実兄は、1941年12月8日の、太平洋戦争の真珠湾攻撃の日に、軍機密保護法違反の罪で、特高に逮捕された北大生の宮澤宏幸さんであるというのだ。いわゆるスパイの容疑で逮捕されたのだと云う。

この事件は「レーン・宮澤事件」と言われているが、秋間さんから聞くまでこの事件のことを私は知らなかった。

悪名高き特高によって、冤罪で逮捕され、15年の刑を言い渡され、極寒の網走刑務所に収監された。

終戦によって解放されたが、昭和22年2月22日午後2時に27歳の若さで病死した。

これまで、何度かこの事件のことはブログに書いているから、詳細は割合するが、外人との交流があっただけで、特高に目を付けられ、無実の罪をなすりつけられたのである。

大学には自治権がある。学生がスパイの嫌疑をかけられたとしても大学は学生を守らなければならないであろうが、当時の北大は宮澤弘幸さんを助けなかったのである。

秋間美江子さんは、今年90歳でこれまでに癌で7回もの手術を受けている身だ。数年前に来日して面会した際には、もう日本には来られないだろうと言っていた。このところ体調もすぐれなかった様であったから、まさか日本に来ているとは思ってもいなかったのである。

それが、とある人から秋間さんが来日して、札幌に来ているらしいと云う情報が10日に入ってきたのである。

秋間さんは、神出鬼没な人である。ある時などは、帯広の温泉銭湯でバッタリと会って「アッラ〜、これから貴方の家に行って驚かせようと思ったのに・・・」などと言うのである。携帯電話も持たない人であるから、ボルダーの自宅を離れると、こちらから連絡の仕様がない人なのである。

八方手を尽くしてようやく連絡先を探り当てたのであった。(つづく)