«前の日記(■2016-12-12-Monday) 最新 次の日記(■2016-12-14-Wednesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-12-13-Tuesday 秋間美江子さん③

11日の14時から

北大の工学部フロンティア応用科学研究棟2階レクチャー(鈴木章)ホールで『構成劇「エルムに寄せて」』『北海道合唱団による合唱』『講演:戦前の日本と「宮澤・レーン冤罪事件」』が催される。

会場に到着したらテレビ局のカメラマンが撮影や新聞社の記者が取材をしている。

二百数十名が定員の会場は通路まで人で溢れていて、400名近くの観客が居るようだ。このヒドイ大雪の中を、これだけの人が観に来ていることに驚いた。

私達夫婦に用意されていた席は、一番前列の中央で秋間さんのすぐ横で、間には山野井孝有さんが座っている。

この山野井孝有さんは、有名な登山家の山野井泰史さんの父親である。

山野井泰史さんが若い頃にアメリカコロラドのボルダーでクライミング中に転落事故を起こして病院に運び込まれた際に、いろいろと世話をしたのが、病院関係のボランティアもやっていた秋間美江子さんで、山野井さん一家はその時から秋間さんと懇意にしている間柄である。

秋間さんと積もる話をしたかったが、次々と秋間さんの元に挨拶しに人が訪れる。後から食事の際にでも、と思い私達夫婦も簡単な挨拶をしただけで劇が始まったのであった。

「構成劇」と云うのを初めて見た。壇上の一番後方にはスクリーンがあって、宮澤弘幸さんらの当時の写真が写される。スクリーンのすぐ前には30名弱の合唱団員が上下黒の服を着てズラリと並び、中央に電子ピアノと指揮者が居る。

その前方に椅子に20名弱の劇団員が上は白、下は黒の服を着て、シナリオ脚本を手にして座っている。その前に4本のマイクが立てられているのだ。

数名ずつが出番になると、その4本のマイクに出て来てセリフを言う。演劇の本番前のセリフ合わせの様なイメージである。

内容がとても伝わり易く「宮澤・レーン事件」のあらましがとても理解し易かった。出演者の中には劇団員も居れば、北大OB・OGに現役の学生も居たが、練習の成果がよく現われていて、涙が出てくる場面も多々あった。

当初、秋間美江子さんは、この演劇があることを知らなかったようだが、たまたま来札時にこの演劇が行なわれ、それを観劇出来たことをとても喜んでいた。

構成劇の終了後、一番前列に座っていた秋間さんが、スクッと立ちあがってステージの前に行き、出演者らにお礼と感動の言葉を述べた。もちろん式次第にはないことである。伝えずにはおられなかったのであろう。素晴らしい盛り上がり方である。

2曲の合唱があり、休憩の後、北大名誉教授の講演があって、最後に山野井さんが締めの挨拶をした。

山野井さんは前日の大雪で千歳空港が閉鎖され飛行機での札幌入りが出来ず、急遽、東北・北海道新幹線で函館へ、更に最終列車で夜中の十二時半に札幌に15時間も掛けて到着したと云う。85歳で、直前に肺炎を患った身なのにすごいパワーである。

90歳で癌の手術を何度も受けている秋間さんが、たった一人でアメリカから日本に来ていることにも改めて驚くと共に、そのパワーに圧倒されたのであった。

16:30頃に会は終了した。

これから、秋間さんらと会食をしながら積もる話をしようと思ったのだが・・・。

秋間さんの元には、メディア関係者のインタヴューがひっきりなしで、なかなか落ち着いて話が出来ない。

この会の関係者らの打ち上げ会が北大学食で開催される様で、秋間さんもそちらに顔を出すと云うので私達も同席することになったが・・・。

外は雪で、会場と学食は50mほどしか離れていないが、徒歩で記者のインタヴューを受けながら移動した秋間さんは、さすがに疲れたようで、打ち上げには顔を出さずに宿舎に戻ると云う。

結局、秋間さんとは積もる話がゆっくりと出来なかったが、元気な顔を見れて安心した。それだけでも来た甲斐があった。

打ち上げ会は、私達夫婦は部外者なので、失礼してホテルに戻り、近くの焼鳥屋で一杯やって寝たのであった。