母は何故だか元気である。5時からベッドを抜け出して、ごそごそと何やら動き始める。
私は、ほとんど寝ていないからかなり眠たいのだが、寝ている訳にはいかないから、私も布団を押し入れに仕舞って母の手伝いをする。老人ってのは寝てなくても朝が早いんだなぁ〜。
妻がお雑煮を作りに来るまでの間、母に付き添う。
早目に来てもらって、母の家で、お雑煮を一緒に食べた。
私は寝不足で頭が痛くなってきたから、自宅に戻り仮眠をとる。午前中に
妹一家が挨拶に来た。妹一家も喪中なので出歩かないのだが、母のところにだけ挨拶に来たのだ。例年なら写真を撮るところだが、弟一家がまだ来ていないし、何人か揃っていないので写真撮影は止めた。
妹一家が帰った後で、入れ替りに弟一家が来る。集合時間を決めておけばよかったなぁ〜。
昔なら正月元旦と云えば、挨拶の人が入れ替り立ち替わり訪れてきては、一緒に百人一首やらマージャンやらをやったたものだが・・・。もはやそう云う風習自体が薄れている。
家族だけで、年賀状を見ながらこの人はあぁだこうだと話をする。我が家は喪中で年賀状を出さなかったし、喪中ハガキも出さなかった。何だか慌ただしい12月で、欠礼ばかりしている。
喪中だから神社にお参りに行くこともしないから、何だか正月と云う気分にもならない。
季節感というかケジメというか、そういうものが付けられない。
夜には、再び弟一家が来る。弟一家も喪中なのである。去年の我が家の関係は皆が喪中なのである。
今年は、おせち料理を作らなかったし、買いもしなかった。買っても食べたいものがないから、いつも残してしまってモッタイナイからだ。
スキヤキをやってつましく談笑していたが、母が、さすがに21時に寝むりたいと言い出しだ。
今夜も私が母に付き添うことになっている。
早目に解散して、私も眠たいから、布団を敷いて22時には就寝した。すぐに母のスゴイ、イビキが聞こえて来たので、安心して眠ることが出来た。イビキが眠り歌になったのは初めてである。
母は朝の6時まで、途中でトイレに起きることなく熟睡した。朝になって目覚めた母が「生まれて初めて夜中にトイレに起きずに朝まで眠った」と言っていたが、そりゃぁそうだろう。昨夜はほとんど寝ていないんだから・・・。
私も8時間たっぷりと眠ることが出来たのでしっかり体力も戻ったのであった。