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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-01-09-Tuesday 指南車

からくり人形作者の

中村潤翁さんから、マジック・ミュージアムに展示して欲しいと、からくり人形の「指南車」が届いた。

去年12月に「品玉人形」を購入した作者である。嬉しいなぁ〜。

「指南車」と聞いて、三国志演義の中で軍師の諸葛亮孔明が、戦場で車椅子みたいな乗り物に乗って戦いを指揮する場面が出てくるのを思い出したが、これが「指南車」であろうと思った。

指南車とは、左右の車輪の回転の差を利用し、乗っている人が常に同一方向を向けるように作られている乗り物で、戦場で使われる乗り物だ。

ただ、『三国志演義』は事実に反する内容もあるので、魏呉蜀の三国時代に車椅子(指南車)があって、諸葛亮孔明が本当に乗っていたかは断言できないが・・・。

そこで、詳しく調べてみた。

『指南車』とは、字義のごとく「南の方角を指す車」のことである。車がいかなる方向に向きをかえても車の上に立つ仙人像の手は常に南を指している車である。中国の晉代以降の歴代史書に指南車の記述があり、史書が伝えるところによれば、古代中国の伝説の帝王、黄帝軒轅(けんえん)が敵蚩尤(しゆう)とたく鹿( たくろく)の野で戦った時、黄帝は指南車を造り、蚩尤が起こした大霧の中でも迷わずに敵を捕らえたという。

また『古今注、輿服(よふく)』には周の時代( 紀元前770年〜紀元前221年)指南車を造ったとの記述がある。

しかし、それらは寓話、逸話の類で実際に指南車が造られたのは魏代(220〜265)以降ようである。

晉代以降の歴代史書の中で技術史上注目すべきは、『宋史』である。その『輿服志』のところに「仙人車雖轉而手常南指」とあり、車上の指南人形である仙人像の手が車がいかなる方向に転換しても常に南を指すと述べている。

指南の仕組みは磁石によるものではなく、歯車によるからくりであることが詳細に書かれている。

中国では、磁石の利用は古くから知られ、司南針(指南針)として羅針盤として、あるいは占いなどに使用された。

したがって指南車は当初は実用のものであったかも知れないが、宋史が語るように祭礼の時に曳かれたようである。それは方位を示すことから隊列の先頭をいく車であった。

黄帝伝説とあいまって、いわば、皇帝の威光の象徴であったのであろう。指南車が常に南を指して人を導いたことから転じて、「教え授けること」「指し示すこと」などの意味として『指南』の言葉が今日も使われている。