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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-07-28-Saturday 相馬野馬追2

28日(土)は相馬中村神社の境内で

「出陣式」が行われる。

心配した台風12号は、あらぬ方向の西側に向きを変えて行った。だから台風直接の大雨や強風には当たらなかったのだが、やや小雨がパラつく天気である。オカシイナァ〜俺は「晴れ男」なのに・・・、でも晴れ男だから台風が逸れたのだと云うことかな。

7:45頃から「御発輦祭(相馬市・相馬中村神社境内本殿)」が、

8:35頃から「出陣式(相馬中村神社境内)」が行われる。まずは、この出陣式から見学をする。

中村神社の境内には、昔の戦の本陣の様な雰囲気で腰掛が並べられている。中央には総大将として相馬行胤(そうま みちたね)氏が33代目当主の和胤氏の名代として座る。

相馬家は十勝の大樹町で牧場を経営していたことがあり、行胤さんとは旧知の間柄なのだが、相馬の人にとっては殿様であるから、親しく話しかけるなんて・・・。

威厳を保って、総大将の役を演じている様にも感じたので、声を掛けずに遠くから見守っていたのであった。

野馬追に参加する人達は、皆が昔の甲冑姿である。時代劇の俳優の様に武士に成り切って演じている様な感じである。

日本の伝統的なまつりで、しかも「サムライ」の恰好をして演じるのだから、観客には、もっと外人客が多いのかと思っていたのだが、外人の姿がほとんど見えない。これって第一原発事故の放射能の風評被害のせいなのだろうか?

挨拶も最初の総大将はピンマイクでその場でやるからまだしもなのであるが、甲冑姿をした地元の国会議員や市長などが、総大将の前でお辞儀した後、サイドのスタンドマイクの前まで来て、順番に挨拶するのであるが、話す内容は現代の挨拶そのままだから、どうにもチグハグ感が拭えない。どうせやるなら完全に時代劇風に武士に成り切って、言葉遣いも昔風にやってしまった方が観客としては面白いのになぁ〜。

お年を召したお歴々は、かなり偉そうに、一般市民に対して「コラッ、そこを歩くな!どけろ!」と武士が町人に言うみたいに怒鳴っていたので、かなり武士になり切っていたけどね・・・。

出陣式が終わったら、9:30頃から、今度は「お繰り出し」で相馬市内を行進するので、速足で中村神社を出て、大手門前の歩道まで移動して一番てい見やすい場所を確保した。馬に乗った騎馬武者の姿をした30騎ほど、槍を持った歩兵雑兵、神社の寄付集めの人、ほら貝を持った人等など200名ほども居たろうか、相馬市内を行進して歩く。固いアスファルト上を、ヒズメで走るのは馬にも相当な負担であろうなぁ〜。

現代の町並みを武士の恰好をした連中が行進する姿は面白くて絵になる。もっとプロデュースをしっかりとやったら、もっともっと良い「見世物」になると思うのだが、どうやら野馬追の関係者はこの昔ながらの朴訥な「行事」感が良いと思っているらしいなぁ〜。

この「お繰り出し」の後には見学出来るものもないので、親類の人が運転する車で福島県観光に出掛けた。

相馬からスカイラインと云うかなりクネクネと曲がりくねったワインディングロードの山道を抜けて磐梯山、猪苗代湖の「野口英世記念館」に向かうが・・・。

晴れていたら最高の景色なのだと云うが、残念ながら10m先も見えない濃霧である。曲がりくねった山道を濃霧の中を車で走るのは結構神経を使うものである。直前に昼御飯を食べたばかりであったから久し振りに車に酔ってしまったのであった。

野口記念館は生家の横に新しく建てられたものであるようだ。展示物には英世ソックリのロボットもあって、マジック・ミュージアムもこんな風に造りたいものだなぁ〜と思いながら見学をした。

ガラス博物館を見学して、また相馬に戻るが、車には往復で5時間くらいも乗っていたろうか。北海道も広いが福島県もかなり広いなぁ〜。

宿は、予約で満杯でホテルに連泊が出来なかったので、この日は亘理町の海沿いの民宿泊である。震災後に建てられた新しい民宿で、コジンマリしていて、且つとてもキレイである。

客は話からすると釣りの客が多い様に見受けられた。

娘夫婦と一緒に4人でこの民宿で夕食を一緒に食べてから別れた。料理はとても美味しいし、品数も量も多くてとても食べ切れない。

残してしまったので申し訳なかった。

部屋は畳敷の6畳間、共同トイレ、共同風呂、共同洗面所である。学生時代の合宿生活を思い出したが畳で寝るのも良いものだ。

でも意外とグッスリと眠ることが出来たのであった。