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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-07-29-Sunday 相馬野馬追3

29日(日)は原町と云う場所で

甲冑競馬や神旗争奪戦が行われる。テレビなどに映るのはこの「神旗争奪戦」の模様である。

今回の相馬行きは急に決めたものであったから、事前の下調べをあまりしていないのだ。宿の手配も移動も、娘の嫁ぎ先のご両親に任せっきりなのであった。

自分で見学する計画を立てたならば、地図などで場所も調べておくから、だいたいの見当が着くのだが・・・。

行く前に描いていたイメージでは、出陣式や神旗争奪戦なども近い場所で開催されるのだと思っていたのだ。

ところが、連れて行かれてビックリした。それぞれの開催場所がかなり離れているのである。

レンタカーを借りたとしても土地勘もないから、駐車場も見つけることが出来ないであろうし、その他の交通手段も充実していないから、ご両親の案内が無ければ見ることは出来なかったであろう。

北海道の広い直線道路しか運転したことのない私には、城下町の曲がりくねった狭い道は運転できない。どうやって行き違うのだろうかと思うほどの狭さなのである。何せ、「エッこの道が双方向通行なの?」と思わず声に出してしまったほどである。北海道なら一方通行でもこれより広いのに・・・。

ご両親の車で相馬市内から40分くらい離れた場所にある南相馬市原町区にある「雲雀ヶ原祭場地」に連れて行ってもらった。11時半頃に到着。ご両親は駐車場が無いから近くで待機しているので2人で見て来てと云う。入口近くで車から降りて会場に入った。

物凄い人数の観客である。昨日の出陣式の観客数の数百倍もの人数である。全国各地から観に来ているようだ。

私達の席は自由席。中央の見やすい指定席は旅行会社が全て押さえている。指定席は20名の団体専用で、個人客は自由席しか取れないのだと云う。

警察のテントの横の僅かなスペースが空いていたので、そこに座って観たのだが、警察が監視する場所の近くだけあって見晴らしが良かった。かなり後から行ったのに良い場所を確保出来たのであった。

天気は晴れ時々スコールの30℃超の気温。晴れたかと思ったら、10秒くらいのスコールみたいな雨がザァ〜ッと降り、すぐに止む。ご両親からもらったビニール合羽を頭から被って雨を防ぐが、着たままだと蒸し風呂状態になるから、また脱いでお尻の下に敷く。これを4度ほどのスコールの度に繰り返したのであった。このビニール合羽がなかったらヒドイ事になっていただろう、配慮が嬉しい。

前方では傘を差して見学する人の傘が邪魔である。後方で見学する人の迷惑を考えてくれなくちゃ〜ね。

正午頃から「甲冑競馬」が行われた。1周1600m位の馬場を7〜10騎の騎兵が競争する。騎手は甲冑を着て、背中に旗指物を付けている。この旗が風を切る音が迫力満点なのである。7レース程が行われたが、ほとんどのレースで落馬があり、馬だけが懸けていく場面が見受けられた。アブミが木製の「と」の字型のモノだから、雨だと足が滑り易いのだろうなぁ〜。その騎手が乗っていない馬を捕まえるのがこれまた面白い。

走り終わった騎馬が観客席の坂を登って裏側に退去していく。この坂の付近で観られたらもっと迫力があったであろうなぁ〜。

甲冑競馬の後は、いよいよメインイベントの「神旗争奪戦」である。競馬場の中央の広場に馬に乗った甲冑姿の騎兵が数百騎も集まっている。

花火と共に一度に2本の神旗が打ち上げられ、それを数百騎の騎馬武者が奪い合うのである。ここでも落馬する人が出るのだから、かなり危ない催しだ。これを20回40本の神旗を打ち上げるそうだ。4回の打ち上げを観て引き上げた。最後まで居たら帰りが大変そうだったし、私は雨と汗で体中ビチャビチャなのである。妻に「帰るぞ!」と言ったら、「もっと観ていたいのに・・・」とかなり不満そうであった。

近所で待機していてくれたご両親に電話をして迎えに来てもらい、ホテルに戻る途中で漬物屋さんに寄ってお土産を買う。店がコレクションした甲冑が博物館として飾ってあるのでそれを見ていたら、静岡から来たオジサンに話しかけられた。北海道の帯広から来たのだと伝えたら、何だかやたらと帯広の事情に詳しい人だった。結局、何故詳しいのかは謎のままであったが・・・。

ホテルに戻ってシャワーを浴びて一休み。

17:00からは「お上がり」と云う凱旋パレードの行進が相馬市内で行われる。帰りは陣笠・陣羽織姿での行進だと云う。

相馬市役所と中村第一小学校の間に掛かる歩道橋の上には誰も人が居ないから、この上から見学したら?と聞いたら、ダメなのだと云う。お殿様が行進するのに上から見下ろすなんてトンデモナイ。二階の窓から見るのも無礼だからダメなのだと云う。

歩道橋の脚の下で行列を眺めていたら、総大将の相馬行胤(そうま みちたね)公が目の前に来たので、手を振ったら私に気が付いてくれて「エ〜ッ何で坂本さんがここに居るの〜? 言ってよ〜! マジックしに来たの?〜」と馬の上から大きな声でこちらに身体を向けて反応してくれたのである。威厳のある殿様役をしているのに、突然に素に戻っちゃったので、観客が驚く様にして私を見たのであった。

誰だ!あれは! 殿様が親しげに声を掛けたぞ!てなもんなのかなぁ〜・・・。

この後、中村神社の境内で、褒章を行うと云うので、そちらに移動した。まだ式が始まる前であるが、中央に腰懸けている総大将の前に、来賓らが挨拶に行っているが、皆、陣羽織姿である。洋服姿の私が挨拶に行くのは場違いだなぁと思って、テントの横で見ていたら、相馬総大将が、私を見つけて、向こうから席を立ってこっち側に来てくれたのである。「イヤぁ〜坂本さん、お久しぶりです。でも、どうして?・・・」と聞くので「娘が、相馬が実家の家に嫁いだもので・・・」と云ったら「どちらの相馬?」と聞く。どうも相馬も広いらしい。私には住所が分からない。一緒に居た娘の旦那の父親が「相馬の〇〇です」と答えてくれた。「そうですか!これも縁ですね。坂本さんには十勝ではいろいろお世話になって・・・」と手を握ってくれる。「一緒に写真を撮っても良いですか?」と聞いたら、ハイ勿論と言ってその場で集合写真を撮ってもらったのである。その並んでいる私達を撮っている観客も数人居たから、どうやら不思議な光景であったのだろう。

前日に、総大将の知人であると云ったのが、法螺ではなくて本当だったと証明出来たので私の株もかなり上がったのであった。

式の間は、正面から模様をずっと見ていて、終了間際に帰る時に、私が相馬総大将に手を振ったら深々と頭を下げて答えてくれた。総大将は偉そうにしていないとイケナイのに・・・。

帰りの道すがらは、この話題で盛り上がったのであった。

この後、6人で夕食を食べてカラオケをやったのだが、気分が良くて12時まで大いに食べて、飲んで、歌って大いに盛り上がった。ついつい飲み過ぎてしまったのであった。